世界でデング熱の感染が増えている。インドネシアでも感染者は急増しており、発症数は7月末までで昨年同期のほぼ3倍だ。これまで発生が多かった都市部だけでなく、地方にも広がりを見せている現地で、感染急増の背景や、ワクチン開発などその対応策の現状について取材した。

なぜデング熱に? 想像しなかった感染

ジャカルタ郊外、プサングラハン郡の中学2年生、ファティールさん(13)は、今年6月13日の木曜日、所属するサッカーチームの試合を終えて、午後3時ごろ帰宅した。とにかく疲れがひどく、体がだるかった。声も出なかった。食事もそこそこに倒れるように寝込んだ。

この日は、地元の別のチームと20分ハーフの4試合があり、ファティールさんは正ゴールキーパーとして全試合に出場。無失点に抑える活躍だった。母親のワヒューティニンシさん(42)は、疲れ切った息子の姿を見て、「いつも以上に試合で頑張り、力を出し尽くしたのだろう」と感じていたという。

デング熱に感染した時の様子を自宅で話すファティールさん(右)と母親のヒューティニンシさん=インドネシア・南ジャカルタ市プサングラハン郡、8月20日、藤谷健撮影

だが一夜明けてもファティールさんのだるさは取れず、熱を測ると39度まで上がっていた。背中の痛みが続き、起きても体がふらつき、座るのがやっと、という状態だった。小学2年生でサッカーを始め、「プロ選手になるのが夢」というファティールさんは、週4日間、サッカーの練習に励んでいる。体力には自信があり、病気にかかったことは「記憶する限りない」(母親のワヒューティニンシさん)という。

最初は腸チフスかと思い、様子を見ていたワヒューティニンシさんだが、改善が見られないので、2日後の土曜日にファティールさんを近くのクリニックに連れて行った。血液検査をしたところ、重大な異常は見つからなかったが血小板の数値が少しだけ低かったという。診察した医師は「デング熱にかかった可能性がある」と言い、ファティールさんには、処方する解熱剤と抗生物質を飲んで自宅で静養するように伝えた。

薬が効いたのか、日曜日には一度熱が下がったが翌朝、突然、鼻血を出した。驚いたワヒューティニンシさんは8時過ぎに、バイクの後ろにファティールさんを乗せて、1キロほど離れた病院に向かった。ファティールさんはそのまま入院した。血液検査をしたところ、血小板が著しく減っていた。デング熱の重症化の一歩手前だった。

病院では8時間ごとに血液検査があった。「針を刺されるのは毎回痛かった」とファティールさん。点滴をしながら、回復を待った。幸い、体調は次第に上向きになってきた。「おなかがいつもすいていた。でもたくさん食べてはダメだと言われた」。差し入れのハチミツを口にして空腹をしのいだ。退院できたのは、4日後だった。

サッカーを再開したのは、その2週間後だ。療養中、チームは連敗していたが、ファティールさんが復帰してからは負けなしだ。

いま考えてもなぜデング熱に感染したのか分からない。自宅は住宅街の一角にある。通学時などを含め、蚊に刺された記憶はない。母親のワヒューティニンシさんによると、体調が悪くなった日の朝から、ファティールさんには食欲がなかった。祖母のトゥティさんが作る大好物のナシゴレン(インドネシアの焼き飯)にも手をつけなかった。おそらくその数日前に蚊に刺され、発症したのだろう、と思う。

ワヒューティニンシさんも「デング熱というのは聞いたことがあったが、実際に家族が感染するとは想像もしていなかった」と話す。「2度目の感染は命にかかわると聞いたので、蚊に刺されないように注意している」(ファティールさん)。ワヒューティニンシさんは「蚊が発生しそうな風呂場や洗面所など、水がある場所に水が残らないように気をつけるようになった」という。「しかしどうしたら予防できるのか、正直なところ、よく分かりません」

インドネシアで感染者が急増

デング熱は、デングウイルスを持つ人を吸血したネッタイシマカやヒトスジシマカに、人が刺されることで起きる急性感染症だ。数日間の潜伏期間を経て、突然の高熱や頭痛などの症状が見られ、重症化すると、命に関わることもある。(デング熱について、専門家に聞いたインタビューはこちらから)

インドネシアでは今年、デング熱の感染が急増している。保健省によると7月末までの発症数は16万4673件。昨年の同じ期間と比べてほぼ3倍で、昨年1年間の発症数(11万4720件)をすでに超えた。死者数も926人にのぼり、この時点で昨年1年間の死者数(894人)を上回っている。感染は全国各地に広がり、全38州で確認されている。

デング熱の発生はこれまで都市部に集中してきた。これはウイルスを媒介するネッタイシマカが人間の血を好むことから、人口が多い地域により多く生息しているためだ。しかし最近は山岳地帯の多いパプア地域での感染が急増するなど、地方にじわじわ広がっている。

インドネシア国家研究イノベーション庁(BRIN)エイクマン分子生物研究所のテジョ・サスモノ博士は、2008年以来、国内の20を超える都市で、デングウイルスのサーベイランス調査を続けている。テジョ氏は、交通の利便性向上や都市化の進行が、感染の地方への広がりの背景にある、と指摘する。

インドネシア国家研究イノベーション庁(BRIN)エイクマン分子生物研究所のテジョ・サスモノ博士=8月20日、ジャカルタ、藤谷健撮影

「デング熱は感染しても無症状の人が多く、感染者がこれまで感染事例が少なかった地域にウイルスを持ち込むことが増えている。そこにもウイルスを媒介する蚊はいる。これまでデング熱の発生があまりなかった地域では抗体を持っている人が少ないため、感染は爆発的に広がることになる」と分析する。「デング熱の流行で、地方、とりわけパプア地域などは医療態勢が脆弱(ぜいじゃく)なため、死亡率が高くなる傾向にある」と言う。

デング熱の大規模な流行について、保健省感染症対策・予防局のアナス・マルーフ局長代行は「気候変動、とりわけエルニーニョの発生との相関関係がある」と指摘する。保健省でデング熱対策などを担当するチームのリーダー、アグス・ハンディト博士によると、エルニーニョは平均気温の上昇をもたらし、デング熱を媒介するネッタイシマカの成長が早まったり、寿命が延びたりする影響を与えているという。アグス氏は「同じような傾向は、世界各地、特にタイやシンガポールなど東南アジアの国々で見て取れる」と話す。

インドネシア保健省感染症対策・予防局のアナス・マルーフ局長代行=8月21日、ジャカルタ、藤谷健撮影

アナス氏は「政府のデング熱対策は、多面的なアプローチを取っている」と強調する。具体的な戦略としては、蚊の繁殖を抑えるため、①浴槽やおけなどに水をためない、②ふたをする、③ゴミを放置せずに埋めるーーの3点を住民に呼び掛けているほか、殺虫剤の定期的な散布、蚊帳の利用、診断キットの配布などを実施。デングウイルスを媒介しない蚊を増やすため、ウイルスを増殖しない蚊の放出もしているという。加えて、アナス氏が期待するのが、ワクチン接種だ。

注目されるワクチンによる予防

ワクチン接種は最近、デング熱の新しい予防対策として、世界で注目を集めている。これまで2種類のデング熱ワクチンが新たに開発され、インドネシアをはじめ、ブラジルやベトナムなどで使用が承認されている。

デング熱の専門家、デューク・シンガポール国立大学のウイ・エン・ヨン教授は、現在のデング熱の対策には限界があるため、ワクチン接種の果たす役割は大きいと話す。オンラインによるインタビューでウイ氏は「いまは蚊の発生をいかに減らすかに重点が置かれている。完全な駆除はもちろん不可能だが、仮に個体数を大きく減らすことができた場合、免疫を持たない人口が増えることになり、デング熱の流行に対して脆弱になるという皮肉なことが起きる。ワクチンは免疫力の低さを補完することができる」と説明する。

デューク・シンガポール国立大学のウイ・エン・ヨン教授=オンライン取材の画面キャプチャー

一方で、ウイ氏は、デング熱ウイルスの多様性による課題があるため、ワクチン開発は容易ではない、と指摘する。

「ウイルスには四つの異なる血清の型があり、そのうち一つの免疫を獲得しても、他の三つの型の免疫にはならない。そのため実質的には四つのワクチンを作って一つの製剤にまとめることが求められている。ここに開発の難しさがある」

これまで世界保健機関(WHO)の承認を受けたワクチンは、サノフィ・パスツール社のDengvaxia(デングワクシア)と武田薬品のQDENGA(キューデンガ)の2種類のみだ。

「世界人口の半数近くがデング熱のリスクにさらされ、感染は急速に拡大している。私たちがワクチン開発に取り組んだのは、公衆衛生上最も重要な疾患にもかかわらず、(予防という)ニーズがまだ満たされていないからだ」。武田薬品のグローバルワクチンビジネスユニットのプレジデント、デレク・ウォレス氏はこう話す。

デレク・ウォレス氏=武田薬品提供

2013年に始まったワクチン開発にあたっては、いくつかの課題があったという。ウォレス氏によると、デング熱の特徴として、感染者の70%が無症状の一方で、症状には単純な発熱から頭痛、筋肉痛、皮膚の発疹といった典型的な症状まで多様なことが挙げられる。そのため臨床試験の際、参加者が発熱するたびに採血をしたが、その段階では、デング熱なのか他の疾病によるものなのかは分からないという。「デング熱の感染者を特定するために血液検査などの実施が必要だった。そのためどうしても治験対象者の規模が大きくなってしまう。そのうち実際にデング熱の感染者は20%程度だった」と話す。

流行地域も年ごとに変わるため、武田薬品では、タイやフィリピンなどアジア3カ国とブラジルやコロンビアなどラテンアメリカ5カ国の計8カ国、26地点で、2万人の子どもが参加する臨床試験を実施した。試験期間は4年半に及び、その後のブースター接種(追加接種)の追跡調査を含めると、7年近く継続的な観察を行ったという。

臨床試験が大規模になったもう一つの理由は、デューク・シンガポール国立大学のウイ教授が指摘するように、四つの異なる血清型すべてに有効なワクチンを開発する必要があったためだ。「例えば、タイで主に一つの血清型が流行していても、ブラジルでは別の血清型が流行しているかもしれません。また同じ国でも地域によって、あるいは年によって、流行する血清型が違うかもしれません。臨床試験の規模と期間は、異なる症例を見るためにもとても重要なのです」

こうして開発されたQDENGAはこれまで40カ国以上で承認されている。今後の課題としてウォレス氏は、①生産量の拡大と低コスト化、②より多くの国での承認、③国際機関や政府、NGOとのパートナーシップの強化などを挙げる。

武田薬品のデング熱ワクチン「QDENGA」の製造風景=同社提供

ワクチンを含む多角的な取り組みを

インドネシアは2022年、世界に先駆けてQDENGAの使用を承認した。これまでのところ、無料で受けられる政府の予防接種プログラムに組み込まれていないため、希望者による医療機関での有料接種に限られている。こうした中、今年12月から6月、東カリマンタン州の一部の小学校で、無料の公的接種が試験的に実施された。

首都ジャカルタから1200キロ余り離れた東カリマンタン州の州都サマリンダ。州保健局にジャヤ・ムアリミン局長を訪ねた。ジャヤ氏によると、今年、州内でデング熱の大規模な流行が続いているという。「8月までの感染者は6千人に達し、昨年1年間の5千人をすでに大きく上回っている」と危機感を示す。

インドネシア政府は、10万人あたりのデング熱の感染者を10人以下に抑えることを目標に掲げている。ジャヤ氏は、州内の市と県を感染率で色分けした地図を見せてくれた。政府目標より少なければ緑色、10人から100人は赤色、それを超えると黒色になっている。スマートフォンに表示された地図には、緑はなく、赤が1県、残りの3市と6県は黒だった。「カリマンタン島は雨が多い地域なので、デング熱の感染は元々多い。しかし最近は本来雨があまり降らない4月から10月の乾期でも降り続け、蚊が繁殖しやすい水たまりが常にあるため、感染の広がりが止まらない」と話す。

デング熱の感染状況に色分けされた地図を見せて説明する東カリマンタン州保健局のジャヤ・ムアリミン局長=8月22日、同州サマリンダ、藤谷健撮影

インドネシアで最初となるワクチン接種のパイロットプロジェクトは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが収まりかけてきた2022年、東カリマンタン州でデング熱の感染が再び広がり、1年間で48人の子どもが死亡したことがきっかけで始まった。州保健局は、知事からデング熱対策の強化を指示され、感染者が増えていたバリックパパン市での実施を決定した。実際に使うワクチンは、2種類を比較し、接種回数が2回と少なく、事前の抗体検査などが不要な武田薬品のQDENGAを選んだ。

2023年7月から保健当局者や学校関係者の会議を重ね、市の北部と中部にある84校の小学校を対象とすることにした。他のワクチン接種を受ける5年生は除外され、3年生、4年生、6年生の1万3885人のうち、確保できたワクチン数にあたる9800人に対する接種計画が作られた。

接種は昨年12月から始まり、6月までに終えた。ジャヤ氏によると、2回を終えた接種率は60%あまり。この期間、子どものデング熱の感染は19件報告されたが、ワクチン接種者ではなかった。

接種が実施された小学校の一つを訪ねた。バリックパパン市の北部、バトゥ・アンパル地区にあるイスラム教一貫校「アル・アウリヤ2」。ユリ・ルッフィアニ校長によると、州保健局から実施計画を伝えられ、まずは対象となる児童308人の保護者にアンケートを送った。「不安を払拭(ふっしょく)するため、この地域でのデング熱感染が多いことや国内初の接種であること、リスク、費用負担はないことなどを伝えました」。その結果、3人が辞退し、305人が接種を希望した。

国内初のデング熱ワクチン接種の様子を話す、イスラム教一貫校「アル・アウリヤ2」のユリ・ルッフィアニ校長=8月22日、インドネシア・東カリマンタン州バリックパパン、藤谷健撮影

今年1月16日午前、当日の体調が悪かった4人を除く301人が1回目の接種を受けた。とりわけ問題はなかったという。2回目は6月4日に実施され、248人が接種を受けた。

接種当時、4年生だったアティカ・アリファ・ラマダニさん(11)は「自分は平気だったけど、親は少し心配だったようだった」と言う。アイナ・シャフィカ・アルカムさん(11)は「夕方に少し熱っぽくなったけれど問題はなかった。(注射に)少し自信がついた」と笑う。

ワクチン接種の様子を話すアイナ・シャフィカ・アルカムさん(左)とアティカ・アリファ・ラマダニさん=8月22日、インドネシア・東カリマンタン州バリックパパン、藤谷健撮影

下校時間に、学校に子どもを迎えに来た保護者にデング熱ワクチンについて聞いてみた。4年生の娘と1年生の息子を持つ母親(34)は「この学校で全国で初めてワクチン接種があったことは知っている。もし今年も接種があれば、上の子が対象になるけれど、(副作用など)まだ分からないことも多いので様子を見るかもしれない」と話す。

下校時間になり帰宅する子どもたちと迎えに来た親たち=8月22日午後、インドネシア・東カリマンタン州バリックパパンの「アル・アウリヤ2」、藤谷健撮影

東カリマンタン州保健局は、今回のワクチン接種について結果などを精査して、保健省に報告する予定だ。すでに見えてきた課題としては、①ワクチンの数が十分ではなく接種人数が限られた、②実施時期が学校の長期休暇と重ならないようにする必要がある、③信仰を基盤とする学校で比較的抵抗感が強かったーーなどを挙げる。ジャヤ氏は「今後、州の予算が確保できれば、サマリンダなど他の地域にも接種を広げたい」とし、「保健省に対しては、国家プログラムとして、ワクチン接種の実施を働きかけたい」と意欲を見せる。その一方で、ジャヤ氏は「ただひとつの手段だけでデング熱を根絶させることはできない。ワクチンだけでなく、蚊の駆除や蚊帳の利用など、多角的な取り組みを続ける必要性は変わらない」と強調した。

デング熱の感染状況に色分けされた地図を見せて説明する東カリマンタン州保健局のジャヤ・ムアリミン局長=8月22日、同州サマリンダ、藤谷健撮影