3大感染症の一つ、マラリア。国連は、感染率や死亡率を2015年比で2030年までに90%削減することを目標に掲げています。しかしその達成が危ぶまれています。ゼロマラリアを目指す国際NGO「マラリア・ノーモアUK」(本部・ロンドン)は、マラリア撲滅によって、感染者の多いアフリカを中心に多くの命を救うだけでなく、その結果、経済が活性化することでアフリカとの貿易が盛んになり、欧米や日本などの高所得国の経済成長にもつながる、とする調査報告書をこのほど発表しました。報告書の内容や調査に至る背景などを、マラリア・ノーモアUKでアドボカシー・戦略担当責任者を務めるゲレス・ジェンキンス氏に聞きました。

マラリア撲滅に吹く逆風

ーーマラリアの制圧や撲滅に向けた取り組みは、2000年代の最初の15年間で、とても大きな進展がありました。しかし新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックなどの影響もあってか、その勢いを失っているように見えます。何が起きているのでしょうか。

報告書が指摘する通り、2000年から2015年にかけて、マラリアによる死亡率は半減し、患者発生率は26%減りました。しかしいまは目の前で大きな嵐が吹いています。COVID-19以前から起きていることなのですが、治療薬や殺虫剤への耐性が高まり、既存の対策手段(ツール)の有効性が揺らいでいるのです。そのため研究者らはツールの改良や新たな開発が求められています。

マラリア―・ノーモアUKのアドボカシー・戦略担当責任者、ゲレス・ジェンキンス氏。オックスフォード大学を卒業後、国際NGO「セーブ・ザ・チルドレンUK」などを経て、2022年から現職=マラリア・ノーモアUK提供

私たちは気候変動にも直面しています。いまマラリアがどこで発生するか、予測がより難しくなっています。実際、大洪水といった深刻な気象現象によって、パキスタンやモザンビークなどではマラリアが急増しました。

さらに問題なのは、マラリア撲滅への政治的な意思が薄らぎ始めていることです。マラリア制圧のための投資は、目標達成のために増額しなければならないのですがほぼ変わらず、必要な資金との差が広がるばかりです。いまこれらの悪条件が一斉に重なってきているのです。

ーーそうした逆風が吹く中で、今回の報告書を発表しました。その意義や狙いを教えてください。

これまで述べてきた現状は、マラリア制圧・撲滅に向けた国際的な戦略の実現にとって、大きな脅威と言わざるを得ません。これまでとても良い結果を出したのにもかかわらず、後退を余儀なくされることははっきりしています。私たちは崖っぷちに立っているのです。この状況を反転させるためには、世界の指導者、とりわけマラリアの影響を最も直接に受けている国のリーダーに加えて、主要7カ国(G7)のリーダーに大きな決断が求められています。報告書はそのため、今年6月にイタリアで開かれたG7サミットに合わせて発表しました。

主要7カ国首脳会議(G7サミット)で、記念写真に臨む各国首脳ら=2024年6月14日、イタリア南部プーリア州、朝日新聞社

報告書は、南アフリカに拠点を置くコンサルタント会社「オックスフォード・エコノミクス・アフリカ」と共同でまとめたものですが、いくつかの重要な調査結果が盛り込まれています。2022年には、マラリアによって年間60万人を超える命が失われました。計算すると、1時間あたり69人がマラリアで死亡していることになります。このうち75.9%が5歳未満の子供です。つまり68秒に1人の子供が亡くなっているのです。もしマラリア制圧の取り組みが進めば、このうちの多くの命を救うことができるのです。

一方でこの数字は、2030年の感染者数と死亡者数を2015年比で90%減少させるという国際目標に対し、現状ではその半分にも達していないということを示しています。

背景には、必要な投資がなされていないという現実があります。2020年から2022年までのマラリアの予防や制圧の投資額は、年平均で34億ドルにすぎず、39億ドルが不足しているのです。そして今後7年間に759億ドルが必要になります。

仮に不足分を埋めることができ、国際目標が達成されたとするならば、どのようなことが起きるのでしょうか。報告書は、この目標が達成されれば、サブサハラ・アフリカに大きな経済的配当がもたらされると指摘しています。その経済効果は非常に大きく、2023年から2030年の間に累積で1270億ドルの経済成長が見込まれると言います。

大きな影響を与えるのは、アフリカの国々や国民に対してだけではありません。マラリアが減少すれば、アフリカにおける経済需要が増加し、つまりは世界中の商品に対する需要が増えるため、G7諸国の貿易にプラスの効果がもたらされるのです。試算によると、アフリカの主要マラリア流行国へのG7の輸出を40億ドル近く押し上げます。言い換えると、マラリアは、主にアフリカの人たちにとって生命を脅かす脅威であると同時に、世界全体の経済安全保障の観点からも、私たちが地球規模で取り組まなければならない問題なのです。

マラリア対策は新たなパンデミックへの備えにも

ーーマラリア対策はどのように進展していますか。

私たちがこの病気を制圧・撲滅できると確信している大きな理由は、新しいツールが次々と生まれようとしているからです。いま予防、診断や治療など、あらゆる分野で、研究や開発、臨床実験などが進んでいます。例えば、長い間、開発が期待されていたワクチンでは、すでに2種類が小児用として、マラリアの影響を受けている国々で使われ始めています。

一つは英製薬大手のグラクソ・スミスクライン(GSK)が、もう一つはオックスフォード大学などが開発したものです。またワクチン投与の結果、人の体内に生成される、防御効果の高いマラリア抗体(モノクローナル抗体)を分離・開発することで新たな医薬品が生まれる可能性も出ています。

一方、ワクチンは唯一の特効薬ではありません。予防のための蚊帳の普及やマラリアを媒介する蚊の駆除などと組み合わせることが大切です。また迅速診断キットなど、診断や治療のためのツールの開発も進んでいます。これら一つひとつを確実に実行していくためには、資金が必要なのです。

ここで思い出して欲しいのは、こうしたイノベーションや保健システムの整備は、マラリアだけでなく、他の感染症の対策にも有効であるという事実です。実際、COVID-19のパンデミックの際には、こうした医療インフラが重用されました。マラリア対策を進めることは、今後起きうる新たな感染症のパンデミックへの備えにもなるのです。決して、マラリアが多く発生しているアフリカなどの国だけでなく、私たち高所得国の人々にとってもプラスになるのです。

ーーマラリア対策は決してひとごとではなく、私たち自身の問題だということですね。では私たちは一体何をすべきなのでしょうか。

マラリア対策の資金の大部分は、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)を通じて調達されています。日本はグローバルファンドの創設メンバーの一つであり、これまで主導的な役割を果たしてきました。グローバルファンドに対する資金拠出では、日本政府に対する期待はとても大きいものがあります。ワクチンでは、調達や配布、接種などに資金が必要です。途上国でワクチン普及を進める国際的な官民連携組織「Gaviワクチンアライアンス」もいま各国に資金提供を呼びかけています。グローバルファンドとGaviは、いずれもG7加盟国が主な資金提供国です。今年か来年にかけて、こうした多国間組織に各国がいかに資金貢献ができるかがいま問われているのです。

G7と招待国首脳らが出席し、開かれた拡大会合=2024年6月14日午後3時、イタリア南部プーリア州、朝日新聞社

「ゴール」のある闘い

ーーCOVID-19のパンデミックが収束する一方で、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ攻撃、スーダンの内戦など、世界のあちこちで混乱が続いています。日々こうした情報に接する中で、人々の間には、無関心や支援疲れが広がっているようにも思えます。

その通りかもしれません。一方で、英国で一般市民を対象にした世論調査を行ったところ、マラリアのような病気をなくそうとする取り組みに対して、多くの支持が集まりました。背景を探ると、問題解決に向けた科学者の貢献に対して、少なからずの市民が誇りを感じているということが分かりました。こうした世論を政治家は利用すべきではないでしょうか。

また繰り返しになりますが、マラリア制圧は、どこか遠い社会のことではなく、自分たちの暮らしにも直接つながる話なのです。

世界で起きている様々な困難は、解決の糸口すら見つからないものが多いかもしれません。しかしマラリアについて言えば、ゴールは見えているのです。そのためになすべきことも分かっています。そして対策への投資で得られる経済的な配当は、その投資額よりも大きいのです。誰もが幸せになれる機会が、私たちの目の前にあります。それを見過ごすのは、あまりにも、もったいないのではないでしょうか。