ようやくできたワクチン、「マラリアゼロ」へ子どもたちを守れ
近年、マラリアのワクチンの開発が進み、人々の期待が高まっています。一方でマラリア根絶へ、ワクチンに加えて、日本の研究機関の協力も続いています。

近年、マラリアのワクチンの開発が進み、人々の期待が高まっています。一方でマラリア根絶へ、ワクチンに加えて、日本の研究機関の協力も続いています。
人類を長く苦しめてきた病、マラリア。いまも年間2億人以上が感染するなかで近年、ワクチンの開発が進み、根絶に向けた闘いを後押ししはじめました。一方で、ワクチンで「マラリアゼロ」への道がすべて開けるわけではないといいます。流行地のアフリカ・ケニアでは、日本の大学も協力した地道な取り組みも続いています。
ケニア西部ビタの港から小型ボートで15分ほどの距離にあるムファンガノ島は、アフリカ最大の湖・ビクトリア湖に浮かぶ島だ。八丈島ほどの面積に約2万5千人が暮らす。1月初め、島東部の公立病院セナ・ヘルスセンターを訪ねると、赤ちゃんを抱いた女性たちが予防接種の順番を待っていた。
日本と同じように、ケニアでは子どもが生まれると風疹やポリオなどの予防接種が行われる。この枠組みに2022年、マラリアワクチンも加わった。
島民のベリル・オディアンボさん(26)は、1歳になったばかりの娘プレシャスちゃんの接種に訪れた。昨夏、同じ村の生後3カ月の子どもがマラリアにかかり、亡くなった。「娘と同じ頃に生まれた子だった。とても悲しいことだ」。マラリアによる死者の8割が、免疫力の弱い5歳未満の子どもとされる。
人口約5300万人のケニアでは、2022年に世界保健機関(WHO)の推計で約342万人が感染、約1万2千人が死亡した。高温多湿なビクトリア湖周辺は蚊が発生しやすく、感染者の多い地域だ。
接種されているのは、英製薬大手のグラクソ・スミスクライン(GSK)が開発したワクチンだ。複雑な構造を持つマラリア原虫(寄生虫)は、血中や肝臓などヒトの体内で寄生する場所を変えるため、ワクチン開発は長年の課題だった。試行錯誤を経て、原虫が肝臓に入って増殖することを防ぐワクチンの開発に成功した。感染を4割ほど減らせるとの結果を受け、WHOは2021年、感染の中心地であるケニアなどアフリカの子どもを対象に、このワクチンを推奨。2022年、国連児童基金(ユニセフ)がGSKと3年で1800万回分のワクチン供給契約を結んだ。
WHOは2023年10月、英オックスフォード大学が開発した別のワクチンも新たに推奨した。こちらは感染を75%減らせるとされ、世界最大のワクチンメーカー、インド血清研究所が製造を担い、今年中にも接種を始める準備が進んでいる。「より多くの子どもたちを守り、マラリアのない将来に近づく重要な手段となる」(WHOのテドロス・アダノム事務局長)と期待が高まる。
ただ、年間2億人以上が感染するマラリアに対して、現状では需要が供給を大きく上回る。新型コロナウイルスでは、先進国にもニーズがあり、ワクチン開発や普及が一気に進んだが、マラリアの流行国は貧しい国が多い。ただでさえ支援が届きにくい途上国の子どもたちに、GSKのワクチンでは4回も接種する必要がある。
ユニセフは契約を歓迎しつつ、「これは始まりに過ぎない。新しいワクチンや次世代ワクチンの開発には継続的な技術革新が必要」と呼びかけた。
ビタには、感染症や農業被害などを引き起こす害虫防除などを目的に設置された「国際昆虫生理生態学センター」(ICIPE)の拠点がある。日本の複数の研究機関も拠点を置いている。
その一つ、長崎大学熱帯医学研究所のスタッフと1月初め、早朝に近くの村へ向かった。前日の雨で少しぬかるむ道を進むと、土壁にトタン屋根の家が点在する集落が見えてきた。
「急に高熱が出て、頭痛や吐き気がしたから、病院で検査したらマラリアだった。漁の間に蚊に刺されたんだと思う」。訪れた民家で漁師のハドキン・オーヨーさん(25)が語った。雨期にあたる昨年4月ごろに感染し、薬で回復したが、村では同じ時期に40代の女性がマラリアで亡くなったという。子どもだけでなく、大人にとっても身近な病だ。
オーヨーさんの家は入ってすぐが居間で、仕切りを隔ててベッドが置かれている。ベッドの上には蚊帳がぶら下がっているが、広げられた形跡はない。「蚊が飛んでいれば音でわかる。昨晩は音がしなかったから使わなかった」と答えた。
土壁と屋根の間には、数十センチの隙間がある。日光を採り入れたり、換気をしたりするためだが、そこから蚊が入る。今回、訪問した目的は、蚊の採集。前の晩、豆電球とファンのついた乾電池式の捕獲装置を、隙間近くにぶら下げていた。電球の光に引きつけられた蚊が、その下に取り付けられた網にファンの風で吸い込まれる仕組みだ。
装置を研究所に持ち帰り、冷凍庫で凍らせた後、蚊を選別した。顕微鏡をのぞくと、羽に斑点のある姿が見えた。マラリア原虫を媒介する雌のハマダラカだ。別のラボに送り、PCR検査でさらに詳しい種類やマラリア原虫の有無を調べる。地道だが、感染の実態を把握するために重要な調査だ。
近くの別の村も訪ねた。夫と2人の息子と暮らすポーリーン・オロウチさん(25)も、幼いころから何度もマラリアに感染してきた。最後にかかったのは2020年で、病院で薬をもらった。長男(5)が2022年に感染したときも、病院で治療を受けた。だが昨年、次男(3)が体調を崩したときは「お金がなくて、解熱剤を与えて様子をみた」と話す。幸い回復したが、研究所で調査アシスタントを務めるルーシー・オケチさん(45)は「もしマラリアだったら、命にかかわっていたかもしれない」と指摘する。
ケニアの公立病院では、5歳以下の子の治療費は無料だ。だが、病院までの交通費がなかったり、治療とは別にお金がかかるのではと不安があったりして、病院に行けない人も少なくないという。
天井から室内全体を覆うように張る天井式蚊帳の普及を進める動きもある。大阪公立大の金子明特任教授(67)=寄生虫学=のチームは、日本と現地の研究機関が共同で研究を進める開発支援の枠組み「地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム」(SATREPS)で、ビクトリア湖周辺をフィールドにマラリア対策に取り組む。2022〜2023年には約2千世帯を対象に、天井式蚊帳の実証実験をした。従来の蚊帳に練り込まれた殺虫剤に耐性を持つ蚊にも効果がある、新たな薬剤を追加したタイプで、感染を減らす効果が確認された。今後も検証を続ける予定で、WHOの認証取得も視野に入れる。タンザニア保健省の要請を受け、薬剤耐性を持ったマラリア原虫の拡散阻止が緊急の課題となっているタンザニアとルワンダの国境地域での導入も計画されている。
金子特任教授は「マラリア対策に『magic bullet(特効薬)』は存在しない。ワクチンが登場しても、これまで進めてきた蚊帳をはじめとする蚊の予防策や、人々の行動変化など、包括的な戦略が必要だ」と強調する。