「マラリアゼロ」への険しい道 パプアニューギニアで追った
年間124万人がマラリアに感染し、2400人余りが亡くなるパプアニューギニア。7年後の撲滅を目指しますが、困難に直面しています。中川竜児記者が取材しました。

年間124万人がマラリアに感染し、2400人余りが亡くなるパプアニューギニア。7年後の撲滅を目指しますが、困難に直面しています。中川竜児記者が取材しました。
エイズや結核と並ぶ3大感染症の一つ、マラリア。日本で生活していれば心配はなく、多くの人にとっては「過去の病」だろう。仮に感染しても早期診断と治療にたどり着けば重症化や死亡は避けられる。しかし、世界では今も年間60万人以上、およそ1分に1人が命を落とす「日常の脅威」だ。そして犠牲者の多くは、5歳未満の子どもたちとされている。流行地の現状はどうなっているのか。9月下旬、認定NPO法人「マラリア・ノーモア・ジャパン」のメンバーに同行し、南太平洋のパプアニューギニアで対策を取材した。
ホテルや官公庁のビルが並び、舗装された道を日本車が行き交う首都ポートモレスビーを車で後にすると、すぐに風景が一変した。道路脇には大きな葉を広げる熱帯の木々が立ち並び、木造の簡素な家がポツポツと立つ。換気のため、また雨期の増水を避けるため、高床式になっている。時折、木製の屋台が連なり、バナナや野菜、生活用品を売るマーケットがあらわれる。道はところどころに穴ができ、でこぼこになった。車は陥没を避けて右へ左へと細かく蛇行し、大きくバウンドしながら進む。土煙のあがる道路脇を、荷物を頭に載せた女性が子どもの手を引き、歩いていた。
首都から約40キロ北にあるセントラル州の村に着いた時には、出発から1時間20分ほどたっていた。広い敷地にケレア小学校の木造校舎があり、そこを活動拠点とする地域のマラリア対策ボランティアらが出迎えてくれた。
保健省のマラリアプログラムマネジャーのレオ・マキタさん(65)が切り出した。「地域を支える経済基盤がないので、マラリアにかかっても病院へ行く交通費が払えない患者がたくさんいる。診断と治療にたどり着けない人たちのために、彼らのようなボランティアを育成している」
パプアニューギニアでは8割以上の住民が自給自足的な農業や漁業で生計を立てており、現金収入を得られるのは、道路脇のマーケットでの作物販売などに限られるという。道路や移動手段といったインフラが整っていない地域だと、医療施設から少し離れただけでアクセスはきわめて困難になる。高熱を伴っていれば、徒歩での移動は大きな負担だ。住民たちの生活圏になるべく多くの拠点と人を置くことが、対策の要という。
世界保健機関(WHO)の推計によれば、2021年のパプアニューギニアのマラリア感染者数は約124万人、死者は2449人。地道な対策に支えられて歩みを続けるが、政府が掲げる「2030年マラリアゼロ」への道のりはまだ遠い。
ボランティアは、まず、発熱を訴える住民の採血をして検査キットで診断する。結果は約20分でわかり、マラリアであれば処方薬を渡し、飲み方を伝える。月末には検査件数や結果などを報告書にまとめ、地域の拠点であるヘルスセンターに提出する。それを繰り返す。患者に金銭的負担はない。対処が難しい複雑なケースは、専門医にゆだねる。
この小学校の教師で、ボランティアも務めるマーガレット・マラリさん(59)は「学校で病気になる子どもも、登校した時に具合が悪い子どももたくさんいる。私は検査をして、薬を与え、学校で休ませます。午後になると少し元気になって帰ることができる。とてもやりがいがある」。学校で適切な治療が受けられる仕組みは、親にとっては学校を子どもを通わせる動機づけとなり、教育水準の底上げにつながる。また、感染症に対する正しい知識が子どもや保護者を通じて地域に広がるメリットもあるという。
ボランティアは主に集落単位で持ち場を決めている。ある集落の9月分の報告書を見せてもらうと、45人を検査し、うち23人が陽性判定を受けていた。現地の9月は雨が比較的少なく、蚊があまりいない時期のはずだが、サロメ・カオトさん(24)は「この辺りは湿地が多く、蚊が生息しやすい。乾期か雨期かにかかわらず、1年を通じて相当数の患者がいる」と説明する。カオトさんは地域で展開するマラリア対策を担う団体「マラリアと闘うロータリアン(Rotarians Against Malaria=RAM)」のスタッフ。RAMなどの現地の活動を支える大きな柱は、低・中所得国での3大感染症対策に資金提供している官民連携基金「グローバルファンド」で、日本も参加している。グローバルファンドは2021年から2023年の間、パプアニューギニアのマラリア対策に8200万ドル(約123億円)の拠出を決めている。
マラリアは、マラリア原虫をもつハマダラカに刺されて起こる感染症だ。原虫の種類によって「熱帯熱」「三日熱」「四日熱」などに分類される。熱帯熱マラリア原虫による感染の場合、短期間で重症化し、死に至るケースもある。初期症状だけで風邪やインフルエンザと誤診せず、正確な診断を下すことが重要だ。この地域では熱帯熱と三日熱と診断される例が、8対2の割合という。
マラリア対策ボランティアのアルイシス・ケネアさん(48)は「検査キットのおかげで、診断はとても早くなった。でも今も最悪のケースはある」。ケネアさんが把握しているだけでも、妊娠中の女性がマラリアに感染して中絶を余儀なくされたり、成人男性が亡くなったりしたという。「マラリアにかかるのは、多くは子どもだ。だけど、大人も油断してはいけない。マラリアをありふれた病気だとみなすのはとても危険だし、間違いだ」と力を込めた。報告書を見ると、確かに幅広い年代の人が陽性になっていた。ケネアさんは小学校から車で10分ほどの場所にあるヘルスセンターでの検査などを担っている。地元出身で、「マラリアをなくさないと、地域の経済発展はできない」とボランティアを引き受けたという。
ケネアさんのようなボランティアは無報酬だ。保健省マラリアプログラムマネジャーのマキタさんは「やめてしまう人が、どうしてもでてくる」と話す。担当の集落を回るだけでなく、月1回、ヘルスセンターに報告書を届けるために炎天下を何時間も歩かなければならない人もいる。ボランティアはパプアニューギニアの行政区のおよそ半分にあたる12州で活動しており、現在約1800人にのぼるという。RAMスタッフのレベッカ・ガボンさん(41)は「今はボランティアがいない州にも活動を広げられれば良いのだが、予算は限られている。やめてしまう人がいれば、次の人を探して、訓練しなければならない。何度も何度も、それを繰り返していて、現状を維持するのがやっとだ」。
RAMと働くあるボランティアの男性は「移動手段さえあればもっと楽になるし、もっと地域を助けられるんだけど」とこぼした。何人かのボランティアは携帯電話を持っていた。ヘルスセンターへの報告に紙ではなく、携帯電話は使えないのだろうか。ガボンさんは「使えれば便利なのは分かっているが、高価だし、電気が通っていないところもまだ多いので充電も難しい」。このケレア小学校にも電気は通っておらず、必要な時には発電機を持ち込んでいるという。「ここでの対策は、一つ壁をクリアしても、すぐに次の壁、また次の壁がある」
早期診断と治療の他に、マラリア対策としては殺虫剤を染み込ませて作った蚊帳が有効とされている。そもそも蚊に刺されなければ、感染の機会自体がなくなるからだ。RAMは蚊帳の配布も進めており、2021年からの1年半で流行地を中心に185万張りを届けたという。だが、そこにもいくつものハードルがある。
パプアニューギニアは、インドネシアと接するニューギニア島の東半分をはじめとして大小600の島からなる。面積は日本の約1.25倍と広大だ。さらに、約995万人の国民は多くの部族に分かれており、約800の言語が話されているという。一方、RAMによれば、道路網は国土全体の半分程度しかカバーしていない。島に渡るためには船や飛行機しかなく、コストがかさむ。道なき道を走り、橋のない川を渡り、ようやく目的地に到着しても、使われている言語が違えば、意思疎通に問題が生じることもある。蚊が活発に動く時間帯や、適切な蚊帳のつり方などを身ぶり手ぶりを交えて伝えなければならないという。
さらに、赤道に近く、豊かな自然があふれる島々にも気候変動の影響は及んでいる。標高差があるパプアニューギニアでは、高地では気温が低く、ハマダラカが生息できなくなるため、マラリアの心配はほとんどなかったという。しかし、保健省のマキタさんは「温暖化が進めば、ハマダラカの生息域が広がる可能性がある」と懸念している。「これまで分かっていた蚊や原虫のライフサイクルも変わるだろう。とても危険な兆候だ」
WHOの推計で、2021年のパプアニューギニアのマラリア感染者数・死者数を2000年と比較すると、それぞれ146万人から124万人へ、3142人から2449人へと減少している。一進一退を続けながらも着実な歩みといえるが、それは、広い国土、未整備のインフラなど数々の困難があっても、地域に根を張ったボランティアやスタッフによる人海戦術で、何とか拡大を食い止めている構図にも見える。
「2030年のマラリアゼロ」に向けて対策が最も重要な局面を迎えるのは、これからだ。