地球規模の課題解決に最前線で取り組む人たちに、with Planetの竹下由佳編集長がその思いを聞きます。今回は、認定NPO法人「マラリア・ノーモア・ジャパン」主催の表彰で、今年の「ゼロマラリア賞」を受けた検査機器・試薬メーカーのシスメックス(神戸市)の家次恒代表取締役会長・グループCEO(最高経営責任者)です。

いまも、世界で年間2億人以上が感染するマラリア。

世界保健機関(WHO)が2023年11月に公表した「世界マラリア報告書2023」によると、2022年の世界のマラリア患者は2億4900万人に達し、新型コロナウイルスの感染が拡大する前の推定患者数を大きく上回り、2021年より500万人増加した。

国連の持続可能な開発目標(SDGs)のターゲットにも「2030年までにエイズ、結核、マラリアおよび顧みられない熱帯病を根絶するとともに、肝炎、水系感染症およびその他の感染症に対処する」と掲げられており、マラリアのない世界を実現することは国際社会の共通の目標だ。一方で、マラリア対策は近年、気候変動の影響や蚊の殺虫剤耐性、治療薬に対する耐性など、様々な課題に直面しており、予防や治療のための技術が求められている。

検査機器・試薬メーカーのシスメックス(神戸市)は、マラリア原虫に感染した赤血球の数を1分で数えられる診断装置「多項目自動血球分析装置 XN-31」を開発した。早期診断を可能にし、適切な治療につながりうることから、「医療現場に福音的なインパクトをもたらした」として、マラリアのない世界をめざして活動する認定NPO法人マラリア・ノーモア・ジャパンが主催する今年の「ゼロマラリア賞」を受賞した

ビジネスの立場からなぜ、マラリア対策に取り組むのか。企業が地球規模の課題に貢献する意義などについて、同社の家次恒代表取締役会長・グループCEOに、朝日新聞経済部の木村裕明記者と聞いた。

「マラリア専用機」ではない

――マラリアの早期診断を可能にする「XN-31」は、2020年6月に高度管理医療機器(クラスⅢ)として国内で薬事承認を取得。2021年には、感染症法で求められているマラリアの発生届け出の基準となる検査法としても認められました。患者の適切な治療や良好な経過につながる技術だと評価されていますが、そもそもなぜ、マラリア対策に取り組んでいるのでしょうか。

マラリアは、赤血球の中にマラリア原虫が入って増殖することで発症します。

我々は、ヘマトロジー(血球計数検査)という血液中の白血球や赤血球の数を数え、分類するという技術を使った機器・サービスのシェアで、世界でナンバーワンです。こうした感染症に対して技術的にどう取り組むかは、企業として大事な課題でした。

今、我々の売上高の86.5%は海外です(2023年度)。海外で流行している病気に対して我々がどう取り組むかというのは非常に大事なことですし、アフリカ諸国などこれから発展していく国々ではマーケットが広がっていきます。血液検査は、(1人当たりの検査対象となるものが一つである)「1人1検体」なんですね。そうすると、我々にとってのマーケットのポテンシャルは「人口」なんです。

こうした背景から研究開発を進め、「XN-31」では、赤血球の中にあるマラリア原虫を見つける技術を確立しました。これまでは顕微鏡で血液を調べて判断していたものが、1分以内でわかるようになります。時間がかからないので、より多くの検査を実施することができます。

シスメックスが開発したマラリア診断装置「多項目自動血球分析装置 XN-31」

血液検査によって、まだ症状が出る前の人も見つけることができます。感染が早く分かれば、早く処置でき、症状が軽くなる。これは医療の原則ですね。

さらに、「XN-31」は「マラリア専用機」というわけではありません。マラリア原虫の検出だけではなく、貧血状態にあるかどうかなど、通常の血液検査の項目もチェックできます。

日本では健康診断の中でもヘマトロジーは最もベーシックな検査ですが、こうした健康診断をマラリアが流行しているアフリカなどの地域で広めることができれば、健康状態の確認に加えて、マラリアを早期に見つけることもできるのです。

インタビューに答えるシスメックスの家次恒会長=2024年5月8日、東京都千代田区、葛谷晋吾撮影

企業がグローバルヘルスに取り組む意義は?

――マラリアをはじめとした感染症対策で、日本企業の技術力への期待が高まっているように感じます。一方で、企業としては当然利益も追求しなければならないと思いますが、そうした中で企業がこうしたグローバルヘルスに取り組む意義についてはどのように考えていますか。

我々メーカーにとって、どう技術革新を起こして、世の中に貢献できるかを考え続けることは非常に大事な役割だと思っています。単に「もうかる」「もうからない」という話ではなく、今回のようにマラリア原虫の検出技術を加えることによって、人々の命を救うことにつながったら、ものすごく価値のあることになりますよね。

マラリア・結核・エイズの3大感染症も含め、こうした病気の撲滅は人類の願い。それに日本の技術がうまく応用され、効果が出ることはありがたいことです。それは、先進国としての責務でもあると思っていますから。

ビジネスの面で言えば、検査数は人口がベースになるので、これからはインドやアフリカ諸国などのいわゆるグローバルサウス(新興・途上国)にフォーカスしようとしています。将来的に大きなマーケットになる可能性があるこの地域の人々は今、マラリアなどの病気に苦しんでいる。だからこそ、我々もチャレンジする必要があるのではないでしょうか。

――マラリアに対しては、1980年ごろから社内で技術開発に取り組み始めていたそうですね。今回の開発にあたっては、どのような技術革新があったのでしょうか。

1980年代~1990年代のヘマトロジー装置は、物理的な大きさにも課題がありました。

「XN-31」は、髪の毛1本くらいの細い流路に細胞を流しながら、レーザー光を当て、マラリアに感染している赤血球かそうでないかを区別しています。レーザー光が当たる部分が少しでもずれると検出できなくなるような、精密機械なんです。

たとえば、新幹線が通過していく時に、駅のホームから、中に何人が乗っていて、女性や男性は何人、どんな髪色の人が何人いたかなどを一瞬にして見分けるようなものです。

アフリカの奥地に、悪路で装置を運んでも、軸がずれないような堅牢性とコンパクトさ、マラリア原虫を染める色素などの技術を結集させて、作り上げていきました。

研究者の皆さんの協力もありました。日本ではマラリアの検体は少ないので、マラリアが発生している現場とのつながりを持つ研究者のみなさんと共同研究をさせてもらいながら開発をしてきました。

AI(人工知能)技術など、新しい技術をどう取り入れて開発し、課題を解決していくのか。それを模索し続けることは、これからも我々の非常に大きな使命だと考えています。

「自分たちだけで全てやるという時代ではなくなっている」

――西アフリカのガーナでは、味の素ファンデーション、NECと3団体で母子の健康を向上させる取り組みをしています。異業種の企業などが組んでグローバルヘルスへの取り組みを展開している狙いはどのようなところにあるのでしょうか。

企業には、それぞれ技術的に得意、不得意があるじゃないですか。

我々は特にヘマトロジー技術に強いですが、病気を克服し、健康を向上させるためにはそれ以外の技術も必要です。(他団体と)どう組んでいくかは、我々の大事なイシュー(論点)になっています。

今の時代、どうコラボしてやっていけるかは非常に大事。自分たちだけで全て出来るわけではありません。日本だけではなく、世界にも様々な技術があり、どううまく組めるか。うまく組めれば、もっと早く課題解決ができますよね。自分たちだけで全てやるという時代では今はなくなっていると思います。

――これから市場が拡大していく地域にトライしているとのことですが、そうした地域では、予算の限られている国もあります。診断装置の普及に向けてのマネタイズ(収益化)には課題もあるのではないでしょうか。

一番大事なのは、現地でどう仕組みを作っていくかだと考えています。

現地の人々が、自立的に仕組みを作っていく。それを我々がどうサポートできるかが大事ですね。

単にお金で援助するという話じゃなくて、人材育成や技術的な支援などによって、現地の人々が仕組みを作る意識を持つようになると、取り組みは長続きするのではないでしょうか。

たとえば、健康診断のような仕組みです。日本では学校や職場などで定期的に健康診断がありますよね。そんな仕組みがうまく広がれば、血液検査の際にマラリア感染もチェックでき、早期治療につながります。

こうした社会貢献の結果として、将来的にマーケットが大きくなり、ビジネスとしてもよくなるのではないでしょうか。この順番が大事です。

「XN-31」の展開としては、これからもアフリカ市場が中心になっていくと考えています。

実際に西アフリカのガーナなどで取り組みが進んでいますが、現地での社会課題解決や現地保健省との共同研究などを通じて、公立病院などで「XN-31」の知名度を高め、導入が進む。このような働きかけを強めていけたらと考えています。

コートジボワールの医療機関に設置されたシスメックスのマラリア診断装置「XN-31」