失われるインドネシアの湿地 エビとパーム油、産地の「リアル」
インドネシアの湿地が姿を消しています。日本の暮らしにもつながるエビやパーム油生産のための開発が原因の一つ。持続可能な方法はないか。現地の取り組みを取材しました。

インドネシアの湿地が姿を消しています。日本の暮らしにもつながるエビやパーム油生産のための開発が原因の一つ。持続可能な方法はないか。現地の取り組みを取材しました。
エビ養殖のために伐採されるマングローブ林、パーム油プランテーションの拡大で失われる泥炭地。今、インドネシアで湿地が姿を消している。背景には、日本の食卓や日用品とも深く結びついたグローバルな消費構造があり、地元の経済を守るために持続可能な生産を目指す模索が続いている。現地で取材した。
日本の食卓に欠かせないエビは、そのほとんどが海外で養殖されている。世界自然保護基金(WWF)ジャパンによると、世界で消費される養殖エビの大部分が、東南アジアのマングローブ域で生産され、1990~2020年で、東京都の面積の3倍以上にあたる約70万ヘクタールが失われた。日本のエビ類輸入量のうち、インドネシアは16%を占め、インドネシアのマングローブ林の減少は、日本の消費者にとっても人ごとではない。
「これはまだ3カ月のベイビーマングローブだな」
「これは、植林して1年たったんだよ」
首都ジャカルタから高速鉄道で約4時間。ジャワ島中部にあるブレベス県は、インドネシアのブラックタイガー生産地のひとつだ。
ジャワ海に面する美しい村ランドゥサンガで、地元の住民たちと養殖池に向かう途中の海岸沿いの湿地を歩いていると、158センチの記者の身長にも満たない、若緑色の植物が並んでいるのが目に入った。エビ養殖の開発で失われたマングローブを再生するため、住民が行政やWWFと一緒に進めている活動で植林されたマングローブの列だった。自然に育ったものと同じほどの高さ30メートルに成長するまでには30年以上かかるという。
水産業の盛んなランドゥサンガ村では、東南アジアを中心に食される食用魚「ミルクフィッシュ」の養殖を1930年代に始めたが、1980年以降は、エビの代表格でもあるブラックタイガーにシフトしていった。
「エビの中でも大きいブラックタイガーは単価が高く、生産性を確保できれば収入があがったからね」。14歳からエビ養殖に携わっていた生産者のタルミディさん(55)は言う。「当時、周りではブラックタイガーの生産がすごく人気だった。まだ14歳だったけどこの道で生きると決めたんだ」
具体的な収入には言及しなかったが、1985年ごろから約15年間で、計20ヘクタール分もの池を持てるようになるほど、経済的に豊かになったという。
だが、ブラックタイガーの養殖池の開発が進むと同時に、マングローブ林の伐採は急速に広がった。はかなく揺れるマングローブの「子ども」を指さしながら、村長のスウィ・アグン・カビアンタラさん(44)はそう話した。
マングローブは「海にはえる森」で、熱帯・亜熱帯地域の河口や干潟などの湿地に育つ木々のことだ。陸地と海の境界にあり、根っこを地面に張り巡らせるために波や風の力を吸収する「緩衝地帯」となる。自然災害から沿岸を守る天然の防波堤として、重要な役割を果たしている。
カビアンタラ村長は「しっかりとマングローブを残しておけば、水をきれいにする作用もある。だが、養殖者のなかには、マングローブがあると邪魔だという人もいた」と言う。タルミディさんも、「ブラックタイガーは池の底を歩くのが特徴。マングローブが池の中にあると、ブラックタイガーの歩く面積が減ってしまうので、稚エビの投入量に影響することから、生産を優先するためにマングローブを伐採してしまう人もいた」と明かす。
もう一つ、生産者泣かせなことがある。「ブラックタイガーは病気にかかりやすい」ということだ。
タルミディさんも、2000年以降、病気に悩んだ一人だ。「一度ウイルス性の病気にエビが感染すると3日で全滅するんです。運が良くても、池に残るのはせいぜい5%」。原因がわからず、「水を入れ替えたりするくらい」しか対処方法がなく、生産を縮小せざるを得なくなったという。
そしてこの性質が、マングローブを減らす要因の一つでもあると、WWFジャパン自然保護室・海洋水産グループの吉田誠さんは話す。「エビの病気が原因で池の水質が悪くなると、その池を放棄して別の場所のマングローブを切って新しい養殖池を作る、という悪循環が生まれていた」。特に田舎のほうは、土地の権利自体がはっきりしていないことや、取り締まりの目が届きにくく「本来であれば当局に保全地域に指定されていても、養殖池用に転換されてしまっている地域もある」という。
これ以上自然を壊すことなく、しっかりと持続可能な形で生産してほしい――。
そんな思いから、WWFジャパンとWWFインドネシアは、日本生活協同組合連合会(日本生協連)、現地のエビ加工会社ミサヤミトラ社と手を組み、生産者に対して、持続可能な養殖業の国際認証である「ASC認証」を取得させるためのサポート「エビ養殖業改善プロジェクト」を2021年に始めた。
「ASC認証」とは、環境・社会・労働に配慮した責任ある養殖業に与えられるものだ。要するに「魚やエビを育てるときに、自然や人にやさしい方法で育てていますよ」というお墨付きのマークだ。
ASC認証を取るためには、いくつかクリアしなければならない基準がある。例えば、養殖池をつくるために失われた面積の50%に相当するマングローブを再生することや、エビの病気予防、治療を適切に行うといったことだ。「エビ養殖業改善プロジェクト」を通じて、マングローブ生態系の保全と、地域住民の持続可能な生計の確立を目指すという。冒頭に書いたマングローブの植林は、このプロジェクトの目玉の活動の一つだった。
同様のプロジェクトは、すでに2018年からスラウェシ島南部ピンラン県でスタートしていて、今年2月の時点で、あわせて25.4ヘクタールのマングローブの再生を行い、うち16.5ヘクタールの生存が確認されている。中部ジャワ州では7.9ヘクタールが生存しているという。
だが、認証を取るためのプロセスは、簡単ではない。定期的な水質チェックや池の底質改善など、きめ細かな生産態勢も要求される。実際、ブレベス県内でASC認証取得のためのプロジェクトに参加しているのは、タルミディさんも含め4人の生産者のみだ。それでも昨年、認証取得が実現し、ジャワ州の養殖エビが初めて生協(コープ)で発売され、日本の消費者のもとに届いたのだ。
プロジェクトに参加した一人、ストリスノさん(59)は2010年に養殖業を始めるまでは、30年近くブラックタイガーの仲介業をしていた。「最近は、ウイルスによって生存率は落ち、かつてほど生産できなくなった。認証の基準を満たすのは大変だけど、持続的な生産方法を選び、ブランド力をつけることで、かつての繁栄を取り戻したい」
タルミディさんは言う。「エビを食べる日本の消費者も、私たちのマングローブの再生に思いを寄せていただければうれしいです」
守るべきは地元の生活か、自然か。両方を成立させたいけど一筋縄ではいかない。そんな現場は、スマトラ島にもあった。
世界一消費されている植物油のパーム油。加工食品にはもちろん、洗剤や化粧品にも使われる生活に欠かせない油だ。世界最大の生産国インドネシアでは、原料のアブラヤシの農園にするため、広大な湿地が失われている。
スマトラ島中部のジャンビ州にある「ベルバク国立公園」。東南アジア最大級の泥炭湿地林で、東京23区の2倍以上の広さがある。1991年にラムサール条約湿地に登録され、国際NGO「コンサベーション・インターナショナル(CI、本部・米国)」によると、そのほとんどが「回収不能な炭素」をため込んでいる。一度破壊され、温室効果ガスとして放出されると、再び自然に貯蔵されたり吸収されたりする見込みがほとんどないという意味だ。
国立公園の外側にあるシンパン村にも泥炭地が広がる。舗装されていない道を、自動車で激しく上下に揺られながら村に入っていくと、道の両側にアブラヤシ農園が広がる。収穫されたアブラヤシの実を山積みにしたトラックと時折すれ違う。
地元農家をまとめる組合長のサイさん(56)の農園を訪ねた。
1974年にジャワ島から移ってきた両親は、国から2ヘクタールの土地を譲り受け、コメ農家を始めた。サイさんも結婚を機に2007年から3ヘクタールの農地でコメ栽培を始めた。年間約1800万ルピア(約16万円)の収入があったが、それも「運が良ければ」だ。近くを流れるバタンハリ川が雨で増水すると水田が水につかり、収入がゼロになったこともある。「3人の子どもを食べさせなくてはならない」。10年前、4ヘクタール分を新たにアブラヤシ農園として開拓した。
アブラヤシを植えるには湿地を開墾し、水路をつくって排水し、乾燥させる必要がある。そのため、水田の時は保たれていた湿地が失われてしまう。
実をつけるのに5年かかったが、その後は2週間に1度のペースで収穫できるようになり、収入は10倍に増えた。サイさんによると、村にいる約540人の農家のうち、実に9割がコメからアブラヤシに「転職」したという。「政府がコメの生産量を確保するために、アブラヤシに転じることを禁止している村もあるが、だからといってやめるわけにはいかない」と話した。
話を聞いていると突然、チェーンソーの音が鳴り響いた。近隣のアブラヤシ農家が、農園を広げるために木々を伐採している音だった。「ここでは、伐採自体は違法じゃない」
すでに伐採が終わっているという場所にサイさんが案内してくれた。ベルバク国立公園との境界で、黒く、ぬかるんだ土を踏むと足がズボッと沈んだ。これから水抜きをして乾燥させたのち、アブラヤシを植えるのだという。雨風にさらされないように設置された屋根の下、黒いプラスチックの入れ物に苗がずらりと並んでいた。
収穫が終わると、農家による野焼きの煙が周囲を覆う。近くに住むスンタリさん(54)は「除草を手作業でやっていたら収穫のペースが遅れてしまう。焼いた方が手っ取り早い」と気にする様子はない。
CIによると、このあたりは1ヘクタールあたり125トン以上の炭素をため込んでいる場所だ。野焼きすると大量の二酸化炭素が大気中に放出されるため、見つけたら通報するよう地元政府からサイさんは言われている。
だが、スンタリさんのような考え方をする農家は多いという。「根気よく伝えていかなければいけない。効率を求めても、私たちの子孫に負債を残すことになるんだと」
日本列島がすっぽり入る大きさのスマトラ島は、約15%を泥炭地が占め、熱帯雨林に生息する希少な動物もいる。スマトラオランウータンは国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで絶滅危惧種に指定されているが、森林の違法伐採の影響で、野生個体数は減り続けている。
2021年に英国であった国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)では、2030年までに森林破壊を止め、回復させるとする宣言にインドネシアを含む100カ国以上が署名した。インドネシア政府が希少生物の保護や、生息地の回復に向けたプロジェクトに力を入れていることは確かだ。
だが、野生のスマトラオランウータンの生息地として知られるスマトラ島北部アチェ州の「ラワシンキル野生生物保護区」周辺では、いまだに違法な伐採が行われ、土地所有者と当局とのいさかいが絶えない。
周囲のスブラワン市の泥炭地では、農家の7割以上がアブラヤシ農園を経営している。2000年ごろ地元政府が突然、ラワシンキル保護区と、周囲のアブラヤシ農園とのあいだに「線引き」を始めた。だが、場所によっては境界線があいまいなため、自身の土地だと主張する地元住民と当局との間で対立が起きるという。
「ここは先祖代々、私たちの土地だったんだ」。1995年からアブラヤシ農家として生計を立ててきたタンブリンさん(51)は憤る。「森は大事だ。でも、保護区にされたことで伐採できる面積が減り、収入が減った。他に仕事をもらえるわけでもない。我々には何の利益ももたらしてくれない」
地元のNGO「アチェ・ウェットランド・フォーラム(AWF)」代表のユスマディさん(44)は説明する。「スマトラ島の多くの湿地は、保護区の対象外になっていて、いまだに大企業には開発を続けさせている。一方で、すでに農園を持っていても、突然、境界線を引かれて農園が続けられなくなった農家に対しては補償もない。最大の問題は、政府が農家に寄り添った政策をとっていないことだ」
アチェ出身の環境学者ラヘンドラさん(41)は言う。「僕が小さい頃はあたり一帯が湖で、小さなボートに乗って魚を釣っていた。珍しい鳥もたくさん飛んでいたし、オランウータンだってそこら中にいた。地元の生活を守ると同時に、僕らの子どもの世代、その次の世代のインドネシアのことをどうすれば考えてもらえるのか、本当に難しい」
恩恵を実感できない人々に、泥炭地を守る大切さをいくら説いても難しいと実感している。