魚と米と人が共に暮らす 琵琶湖発「ゆりかご水田」の挑戦
日本一の湖・琵琶湖をかかえる滋賀県では生態系を守り、地域の暮らしや文化を支えることに行政と地域住民や企業が一緒に取り組んでいます。その思いはベトナムにも広がります。

日本一の湖・琵琶湖をかかえる滋賀県では生態系を守り、地域の暮らしや文化を支えることに行政と地域住民や企業が一緒に取り組んでいます。その思いはベトナムにも広がります。
琵琶湖は、世界的にも珍しい古代湖として知られ、ラムサール条約にも登録されている。だが、かつては経済成長によってその生態系に深刻な影響が出ていた。改善に向けた取り組みは「琵琶湖モデル」として海外の水環境の保全にも活用されている。また、水田が広がる地域では、失われた魚を再び田んぼに戻し、自然と共に暮らす工夫が広がっている。
ベトナム北東部に広がる世界遺産・ハロン湾は、美しい景観で知られる観光地だ。だが最近は、観光のための開発が進み、人口が増えた影響で、水が汚れるといった環境問題が深刻になっている。とくにハロン湾の中で一番大きな島「カットバ島」では、赤潮の発生によって養殖魚が死んだり、海にゴミが捨てられて景観が悪化したりと、観光や水産業への影響が懸念されてきた。
こうした課題の解決に向けて注目されたのが、滋賀県が進める「琵琶湖モデル」だ。国際協力機構(JICA)の草の根技術協力事業を通じて、行政・住民・企業が連携し、現地の人々の環境意識を高めながら、持続可能な水環境づくりを支援してきた。
「ハードの導入ではないんです」
カットバ島で滋賀県企業らと活動した、滋賀県商工観光労働部商工政策課の井上忠明さんはまず、そう説明する。現地の管理技術者とともに手順書やマニュアルを見直し、より精度の高い運用を可能にする「ノウハウの共有」が中心だった。
2015年から約10年にわたり、二つの段階に分けて行われた支援では、地域の住民や企業、行政が連携する枠組みづくりを後押し。「グリーンカットバ」と呼ばれ、みんなで一丸となって環境を守るための活動をするグループを生み出した。
グリーンカットバでは、研修や環境教育、地域のイベントなどを通じて、住民だけでなく企業や行政が協力してゴミ拾いや環境を守るための呼びかけが行われた。支援が終わったいまも、地域ではゴミ拾いなどが続いていて、滋賀県の経験が、現地の持続可能な環境づくりに役立っているという。
滋賀県が伝えたのは、単なる技術ではなく「水とともに生きる知恵」だと、井上さんは説明する。こうした取り組みは、カットバ島の人々にとっても新たな気づきとなり、環境保全と経済発展の両立を目指す動きが今も続いている。
経済の成長を止めることなく、環境保全を実現した成功例として第23回日本水大賞の「国際貢献賞」を受賞した。
「琵琶湖モデル」が誕生したのは、滋賀県が直面した苦い経験にさかのぼる。京阪神の都市圏に近接し、交通の要所でもあった滋賀県は、1960年代以降、工業県として急速に発展。人口増加に伴い、1977年には琵琶湖が赤く濁る「淡水赤潮」が起きた。原因は、家庭や工場から流れ出る排水に含まれる窒素やりんなどの栄養分が多すぎたことで、水質や生態系に深刻な影響を及ぼした。
衝撃を受けた県は、住民や県内企業、研究者と力を合わせて、洗剤の見直しや下水道の整備を進めた。琵琶湖の水質は改善され、赤潮も近年ほとんど発生することはなくなったという。
一方で、こうした意識改革には時間と根気が必要であり、連携の維持や住民の参加を促す仕組みづくりが課題となる。井上さんは「環境保全は暮らしと切り離せない。だからこそ、経済活動と両立できる方法を伝えていくことが重要」と話す。
「琵琶湖モデル」は、経済成長と環境の共存を両立させたして注目されたが、滋賀県には、もう一つ、農業と環境の共存を目指す事例がある。それが「魚のゆりかご水田」プロジェクトだ。コメづくりと魚の生育を両立させ、地域の自然と暮らしをつなぐ象徴的な取り組みの現場を訪ねた。
琵琶湖の東部に位置する栗見出在家(くりみでざいけ)町は、約80世帯ほどの小さな水田地域だ。訪れたのは5月中旬で、ちょうど田植えが行われている時期。緑色の小さな稲の苗が、水田に列をなして揺れていた。
いくつかの田んぼを歩いていると、「ポチャン」と音がして水面が不自然に揺れた。「あそこだよ!」。案内してくれた農家の川南隆さん(68)が指す方を見ると、2匹のナマズが絡まりながら田んぼをビチャビチャ泳いでいた。
もっと近くで見たい。
田んぼの水は足首より少し上くらいだから決して深くはないが、苗の間を縫うように進むナマズのスピードは結構早く、追いつけなかった。
栗見出在家町は約200年前、旧彦根藩によって愛知(えち)川流域で最後に新田開発された。下流域に位置するため土地の標高が低く、琵琶湖の表面水位と田んぼの標高が変わらない。そのため、昔は雨が降ると琵琶湖からナマズやフナなどが田んぼに入って産卵し、育った稚魚は琵琶湖に戻っていたという。
そんな独特の風景は、土地改良事業によって消えてしまう。1960年代後半、コメを効率的に生産することや、治水対策として圃場(ほじょう)整備が行われ、田んぼと水路に段差ができて、魚が遡上(そじょう)できなくなってしまった。
魚を田んぼに戻そうと官民一体で取り組んでいるのが、2001年に始まった「魚のゆりかご水田プロジェクト」だ。琵琶湖と田んぼを結ぶ排水路に、高さを少しずつ変えた階段状の堰(せき)を設置。雨が降ると、堰で止められて水位が上がり、段差が減って、魚が遡上しやすくなるという。排水路の幅員が広い場合は、田んぼ一筆ごとに「一筆型魚道」を設置。マス状になった魚道に水がたまり、排水路からマスを伝って、田んぼに魚が入ってくるという。
そんな人工的に作られた狭い魚道を、本当に上がってくるのだろうか? 遡上の瞬間がどうしてもイメージできない記者に、琵琶湖博物館の専門学芸員、金尾滋史さん(45)は琵琶湖特有の地形と、郷土料理の話をしてくれた。
「雨が降って増水すると、いままで陸地だった場所が冠水する。魚からすると天敵がいない『水辺エコトーン』と呼ばれる場所で、プランクトンの卵が残りやすいため稚魚のエサがたくさんあって繁殖しやすい」と金尾さんは説明する。人間が田んぼをつくると、水辺エコトーンが増え、一部の琵琶湖の魚にとって非常に良い産卵場所を提供することになった。子孫を残すため、人工的につくられた魚道だとしても遡上するというわけだ。
一方で、金尾さんは「田んぼバンザイという訳ではない」とも言う。「水田になったため絶滅した魚もいる。いま我々が見ている魚は、そういう場所を好み、卵を産む本能が備わっていたために最終的に残った生き物であることは忘れてはいけない」
それでも、地域の人々からすると身近で愛すべき存在だ。特に、発酵による独特の酸味が特徴的な滋賀県の郷土料理「ふなずし」は、琵琶湖の固有種ニゴロブナを使う。淡水魚であるニゴロブナは日持ちがしない。冷蔵庫もなかった時代、地元の人々は年中食べられるように、発酵させることで長期保存を可能にしたのだ。
「ゆりかごプロジェクト」を始めた時、必ずしも農家全員の同意がとれたわけではなかったという。魚のことを考えると田んぼに使える農薬は限られるし、堰の設置には手間もかかる。それでも地域一丸となって進めてこられたのは、長年にわたり、人間と琵琶湖の魚が共生してきた体験と記憶があったからだ、と金尾さんは言う。
その話を裏付けるように、この道50年以上の藤村英雄さん(78)は振り返る。「小さい頃は、雨が降ったら田んぼに入ってくる魚を手づかみして、焼いて食べるのが当たり前だった」。だから、土地改良事業から半世紀後、「ゆりかごプロジェクト」によって田んぼで小さな稚魚を見つけた時は「涙が出た。毎年、あの瞬間が一番うれしい」と目を細める。
別の田んぼに、2匹のナマズを見つけた。勢いがなく、しばらくすると動かなくなった。「ツガイかな」と川南さんは言い、「ゆっくりお休み」とそれぞれを両手でつかむと、排水路の方へ戻した。産卵を終えたのだろうか。2匹はゆっくりと湖に向かって泳いでいった。記憶だった「共生」が、現代に引き継がれている瞬間を見た気がした。