1990年代から著しい経済発展をしてきた東南アジアの国タイ。世界的にHIVが流行した時期には、コンドームを配布する予防運動で成果をあげました。タイ社会はいま再び、10代の少女の妊娠という問題を克服しようとしています。3月下旬、タイを訪ねました。

社会問題化した少女たちの望まない妊娠

事件が起きたのは、2010年11月のことだった。タイ・バンコクの寺院で、袋に包まれた胎児2002人の遺体が見つかったのだ。その後、寺院の職員が複数のクリニックで違法に人工妊娠中絶された胎児を引き受け、報酬を得ていたことがわかった。

当時、未成年の中絶は違法で、多くの少女たちが隠れて中絶をしていた。15~19歳の出生率(2012年時点)は人口1千人あたり53.4に上っていた。

そんな状況で起きたこの事件はタイ社会を揺るがせ、少女の妊娠防止に取り組む関係者たちを本気にさせた。

「それまで別々に活動していた機関が同じテーブルについて、真剣に話し合うことになったのです」と、タイ健康推進財団のプログラムマネジャー、スパトラー・ブアポエムさんは言う。

タイ健康推進財団は、酒税とたばこ税で運営され、性感染症の防止を啓発したり、性教育の研修プログラム開発に資金を拠出したりしている。

事件後、財団が中心になり、健康や家族に関する多数のNGO、研究者、保健省など五つの省が連携して、新たな法律の制定について知恵を絞った。そうして2016年に成立したのが、「青少年の妊娠問題の予防及び解決に関する法律」だ。

「青少年の妊娠問題の予防及び解決に関する法律」の成立経緯について語る性教育協会の女性の健康プログラムマネジャー、ジッティマ・パヌテチャさん=タイ・バンコク、筆者撮影

契機になった法整備

法案作成に関わった性教育協会のプログラムマネジャー、ジッティマ・パヌテチャさんによると、「私たちより前に、一部の政党が、青少年の人権侵害につながりかねない法案を提出しようとしていた」という。「たとえば、ホテルに踏み込んで、セックスをしている青少年を逮捕するといった内容でした」

これに対してジッティマさんらが作った法案は、性に関する青少年の権利を盛り込むという画期的な内容だった。

青少年には、自分自身に決定を下す権利があり、情報と知識を得て、リプロダクティブ・ヘルス・サービスを受ける権利があると定められている。

SNSなどでは「子どもがセックスをすることを奨励するのではないか」といった不安の声はあったが、大きな反対意見はなく、法律は成立した。

「私たちの法案は、エビデンスに基づいていた。少女の妊娠が社会問題だという意識が共有されていたのも後押ししたのでしょう」とジッティマさんは語る。

ただ、「サービスの提供が本当にできるのか」という懸念はあった。

平日の夕方、サイアム地区で出会った少女たち。翻訳アプリで日本の新聞記者だと告げて撮影の可否を聞くと、快く応じてくれた=タイ・バンコク、筆者撮影

青少年クリニックの受診は無料

法律が誕生して8年が経過した今、若者向けのリプロダクティブ・ヘルス・サービスは、着実に成果を上げつつある。

チェンライ県保健局で青少年問題を担当するマティカー・ビンヌアンさんによると、この法律に基づき、県内に18ある病院すべてに、10~19歳を対象とする「青少年クリニック」が設置された。

青少年クリニックでは、名前や住所、IDを登録しなくても秘密裏に受診ができる。タイ人のIDカードがあれば、受診料はかからない。コンドームや緊急避妊用ピル、避妊のための注射なども、すべて無料だ。運営のための予算は、保健省が出しているという。

タイ政府は法制定と同時に、2026年までの10年間で人口1千人あたりの少女の出生率を25にまで減らす目標を立て、各県の数値を国に報告する義務を課した。自治体が数値を競うようになったこともあり、2022年には21.2まで減少。政府は、2027年までに15にするという新たな目標を決めている。

残された課題 若者のHIV感染増

望まない妊娠は減ってきたが、依然として残されている課題が、若者のHIV感染の増加だ。

タイ健康推進財団によると、2019年のデータで、約9千人の感染者のうち48%が、15~24歳の若者だった。

2022年、同財団は民間団体と協力し、大学生によるコンドームの啓発動画を募集するコンテストを開いた。93作品が集まり、20作品を表彰したという。

近代的なショッピングセンターが立ち並ぶサイアム地区。平日の夕方も多くの若者でにぎわっていた=タイ・バンコク、筆者撮影

コンドーム配布のイベントやアプリも

平日の夕方、タイの若者に人気の街バンコク・サイアム地区を訪れると、制服姿のカップルも目立つ。そんなタイの若者にとって、2月14日のバレンタインデーは特別な日で、恋人や友人と出かけることが慣習になっているという。

同財団は民間団体と協力し、今年のバレンタインデーに初めて、「コンドームランド」というイベントを開催した。各団体のブースを訪ねるごとにコンドーム1個をもらえる仕掛けで、280人の中高生が参加し、400個のコンドームを配った。

こうしたイベントや青少年クリニックに行かなくても、コンドームを無料でもらえる専用のアプリもある。登録して申し込めば、15歳以上のタイ人なら、週に10個まで、自宅近くの薬局で受け取ることができる。

スマートフォンのアプリで申し込めば、週に10個までコンドームが無料でもらえる=タイ・バンコク、筆者撮影

バンコク市内にあるコンドームをコンセプトにしたタイレストラン「キャベジズ・アンド・コンドームズ」を訪れた。NGOの「人口と地域開発協会」(PDA)が運営している。

コンドームでできた衣装をまとった人形に迎えられ、上から大きなコンドームの明かりがぶら下がっている不思議な空間だ。

NGOが運営しているコンドームをコンセプトにしたレストラン「キャベジズ・アンド・コンドームズ」。食事をすると、コンドームがもらえる=タイ・バンコク、筆者撮影

食事をしていたのは、大半が欧米からとみられる観光客のようだった。記者も名物のカオソーイを注文すると、最後にコンドームの入ったかごがテーブルに運ばれてきた。

性に関する情報は、青少年の権利

タイ社会には、徹底したコンドームの啓発が受け入れられている。ただ、10代の妊娠防止の取り組みが1990年代のコンドームキャンペーンと異なるのは、性に関する情報が、青少年の権利として位置づけられているということだ。

なぜ、NGOが主体で、そんな法律を作ることができたのだろうか。「ひとことで言うと、タイは問題が多いから」と、性教育協会のジッティマさんは言う。経済成長によるGDPの増加によってグローバルファンドからの支援が減少し、自分たちで問題を解決しなければならなくなった。

2016年の法律が求めているのは、リプロダクティブ・ヘルス・サービスの提供だけではない。青少年が自己決定するための情報や知識を与えること、つまり「性教育」だった。