社会課題解決の「費用」と「利益」 経済学者・ロンボルグ氏の試算は
世界中に山積する課題に、最も効果的に取り組むにはどうしたら良いのか――。社会課題解決の費用を試算した経済学者のビョルン・ロンボルグ氏に聞きました。

世界中に山積する課題に、最も効果的に取り組むにはどうしたら良いのか――。社会課題解決の費用を試算した経済学者のビョルン・ロンボルグ氏に聞きました。
経済学者のビョルン・ロンボルグ氏は、シンクタンク「コペンハーゲン・コンセンサス」の代表で、ノーベル賞受賞者らとともに、世界課題に対する「最も効果的な対応策」を研究。米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれたことがある。2023年には「BEST THINGS FIRST」を出版し、英エコノミスト誌で「2023年のベスト・ブック」の一冊にもなった。4月の来日時に、話を聞いた。
――2015年にSDGs(持続可能な開発目標)が国連で採択されてから10年近くが経過しました。SDGsでは、期限を区切り、計測可能な17の目標と169のターゲットを設定しましたが、様々なグローバル課題を巡る現状について、どのように考えますか。
国連がSDGsを策定したのは、世界にどのような課題があるかを示し、それに対する、ある種の指標を作ろうとしたからです。しかし、進捗(しんちょく)はとても遅く、国連事務総長も「SDGsは今、危機的状況にある」と言っているのが現状です。
各国が目標に加えたいものを挙げていき、その結果、「全ての人に全てについて約束した」ような内容になってしまいました。全ての目標を達成するためにかかる費用を考えると、さらに10兆ドルから15兆ドルかかると試算しています。つまり、文字通り誰も持っていないような金額です。
私たちが自分の時間や資源を最も賢く使うにはどうすればいいかを考えています。もし資源をとても上手に使えば、少ない投資でとても大きな利益が得ることが可能なのです。
――著書「BEST THINGS FIRST」では、「最も効果的な解決策」として結核対策や初等教育、母子保健など12分野でのソリューション(解決策)を提案されています。
この本は、基本的に経済学者の本で、その政策にどれだけの費用がかかり、それがどれだけの利益をもたらすか(費用便益分析)を示しています。
低・低中所得国には世界の約半分の人が住んでいます。彼らは貧困であるために、大きな問題を抱えていますが、解決できれば大きな効果があるともいえます。コストの何十倍もの効果があったらとてもいい話ではないですか。
この本で提示した12のソリューションは、いわば、レストランのメニューのようなものです。もしレストランに入って、値段も量も書かれていないメニューが出てきたら困るでしょう。社会課題への取り組みも一緒です。いくらで、どんな効果が得られるかを知った上で、何をするかを考えて欲しいです。
――グローバルヘルスの観点から、そのうち何点かについて具体的に教えて下さい。結核やマラリア対策についても、12のソリューションに加えています。
今でも毎年140万人が結核で亡くなっています。適切な治療が受けられれば命を落とすことはない病気ですが、治療するには、長期間、薬を飲み続けなければなりません。結核には偏見や差別といったスティグマがあり、結核と診断されると仕事に就けなかったり、離婚されてしまったりすることもあるそうです。
結核患者が多いインドで調査をして分かったのは、長期間の治療を避けるために「ただの風邪」ということにしてしまい、それによって感染が拡大する悪循環につながっているという現状です。結核患者を早く見つけ、しっかり投薬するために、現在、世界で結核対策に拠出されている支援額に年間62億ドル上乗せすれば、長期的には毎年約100万人を救うことができます。
マラリアの犠牲者は、ほとんどがアフリカに偏っています。これはアフリカが貧困に悩まされている地域が多いことに加え、マラリアの媒介となるやっかいな蚊の生息域にも重なる、ということが大きな要因になっています。
11億ドルの支援額で、マラリアを媒介する蚊に刺されることを減らすよう、殺虫剤浸漬蚊帳を届け、その蚊帳の中で寝られる環境を整えれば、毎年約20万人を救うことができます。
――母子保健についても挙げられています。
出産は以前、すべての女性にとって非常に危険なものでしたが、私たちは現在、母子のほとんどを救う方法を知っています。しかし今なお、毎年30万人の母親が出産時に亡くなり、230万人の赤ちゃんが生後28日以内に亡くなっています。そのほとんどが低・低中所得国、特に南アジアとアフリカ地域に集中しています。
私も知らなかったのですが、生まれた直後の新生児の5%は自らうまく呼吸を開始することができないのです。貧しい国では、それが原因で毎年80万人以上の子供たちが、生まれた直後に命を落としています。要は、マスクを使って肺に空気を送り込む必要があるのです。このため、たった70ドル程度で2年間使えるプラスチックのマスクがあれば、80万人のうち、少なくとも30万人の子どもを救うことができるのです。
――初等教育対策についても著書では触れています。
低・低中所得国では、10歳の子どもの約8割が、単語を読むことはできても、それを意味のある文章にまとめることができないと言われています。学校にはたくさんの子どもたちが通っていますが、彼らは本当の意味では学んでいないのです。学校の数を増やしたり、教師の給料を上げたりしても、実際に学習効果が上がるわけではありません。
しかし、これを実現する素晴らしい政策があります。東アフリカ・マラウイでの取り組みの実例を紹介します。
マラウイでは、一つのクラスに100人の子どもたちがいます。子どもたちを1日1時間、教育ソフトをインストールしたタブレットの前に座らせました。ソフトでは、子ども一人ひとりの理解度を計測します。その結果に応じて、基本的な数学と言語を効果的に教えることができるのです。この結果、平均的な児童が通常3年間かかるのと同等の成果を、1年間で得ることができたといいます。
タブレットの一部が盗まれたり、破損したりすることを想定していますが、それでも、タブレット1台あたり31ドルの投資に対して、子どもたちはとても賢くなり、将来生産性の高い労働者となるとして、社会的便益の試算をすると2千ドル分の効果があったとされています。
――日本では、SDGsという言葉自体は浸透し、なじみのある言葉になっています。一方で、目標達成のためにどうするか、というところまでは議論が深まらないケースも多いです。SDGsの推進力となるべき日本の政策決定者や企業のリーダーにはどのようなことを期待しますか。
今回書いた本は、インスピレーションを得るための本だということです。何か世界に良いことをしたい、と思った時に、この12のソリューションを見て、ここで何かできないかと考えてみてください。12のうち、いくつかでも実行に移してくれることを願っています。
――グローバルな課題に対しては日本の若者も高い意識を持っています。
「8万時間問題」というのを知っていますか? 人が一生のうち、労働に費やす時間が8万時間だというふうに言われています。若い人たちには、その8万時間を何に費やすのか、悪いことに費やすのか、それとも良いことに費やすのかを考えて欲しいです。