「動物の福祉」重視の鶏卵事業で貧困脱出目指す タイの山岳民族の村
世界で注目されているアニマルウェルフェア(動物の福祉)。タイの山岳民族の村では、アニマルウェルフェア重視の鶏卵事業で、山岳民族が貧困脱出を目指しています。

世界で注目されているアニマルウェルフェア(動物の福祉)。タイの山岳民族の村では、アニマルウェルフェア重視の鶏卵事業で、山岳民族が貧困脱出を目指しています。
動物に可能な限り苦痛を与えず、本来の行動ができるようにしようというアニマルウェルフェア(動物の福祉)の国際的な潮流が、畜産の世界に急速に広がってきています。気候変動や環境保護、健康といった国連の持続可能な開発目標(SDGs)とも密接に関係した動きです。アニマルウェルフェア重視の鶏卵事業で貧困からの脱出を図る運動が進められている、タイ北部の山岳民族の村を取材しました。
タイ最北端にあるチェンライ県は、ミャンマー、ラオスと国境を接する。県都チェンライは隣接するチェンマイなどとともに、多くの仏教寺院や文化施設があり、いまも北部独自の文化・伝統が色濃く残る。
そのチェンライから山道を車で1時間半ほど走ったところに、山岳少数民族アカ族の住むワウィー村はあった。さらに丘を登って、ようやく目ざす鶏舎に着いた。日本にあるような近代的な建物ではない。周囲を板や竹で囲っただけの簡易な小屋だ。長靴に履き替え、消毒液に浸してから、ネットで覆われた敷地に入ると、アカ族の女性ミポさん(44)がはにかみながら迎えてくれた。
ミポさんが飼っている雌鶏は約700羽。訪れたのは午前中だったが、鶏たちは朝の放牧を終え、涼しい小屋の中で過ごしていた。小屋に鶏を閉じ込めるケージ(小さな囲い)はなく、鶏たちはおがくずが敷かれた小屋の中を自由に行き交っていた。人が入ると鳴き声は騒がしくなったものの、恐れるふうはなく、なかには足元に寄ってくる鶏もいた。
細長い小屋の奥に進んでいくと、ひときわ薄暗い部屋があった。部屋の壁を取り囲むように棚がこしらえてあって、竹かごがたくさん並んでいる。その上に乗っている鶏が何羽もいる。竹かごは巣箱だった。バケツを手にしたミポさんが竹かごに手を伸ばし、産みたての卵を一つひとつ大事そうにバケツに集めていく。
ミポさんが鶏を飼うようになって10年。それまではコメを細々と作るぐらいで、現金収入はほとんどなかった。卵の収入で暮らしはずっと楽になったという。
「向こうの丘にも、あっちの丘にもここと同じような鶏卵農家がある。分けているのは鳥インフルエンザなどの病気が複数の農家に広がらないようにするためだ。この村では毎朝40~50の農家から卵が出荷される。それを私たちが都市の取引先に届ける。私たちの卵は、ケージフリー(ケージなし)、有機飼料、抗生物質不使用を売りにしていてタイの『オーガニック卵ナンバー1』の認定も受けているんだ」。案内役で、この事業を展開しているヒルトライブ・オーガニックス社の農場責任者タニック・チョムチュンさんが誇らしげに語った。ヒルトライブは山岳少数民族の意味だ。
国境をまたぐ形で暮らしているアカ族が、タイ国内に移り住んできたのは主に20世紀になってからといわれる。ラオスやミャンマーの内戦を逃れてきたアカ族は現在、タイ国内に約8万人いるという。焼き畑農業など伝統的な農耕で得られる現金収入はごくわずかで、教育も受けられず、タイ語を理解できない人も少なくない。若者は仕事を求めて村を出るが、貧困や犯罪が待つばかりだった。
「貧困から脱し、子どもたちに教育を受けさせるには、まず村で現金収入を得られるようにしなければ」。アカ族の窮状を目にした米国の社会起業家リチャード・ブロッサム氏が、白羽の矢を立てたのが鶏卵事業だった。
アカ族の日常生活に近く、健康志向やアニマルウェルフェア重視の流れにも乗って、付加価値の高い「有機放牧の卵」を手がけてもらおうというのが、かつて米ペプシコ社でアジア太平洋地域を統括するなど食品業界に明るいブロッサム氏の狙いだった。
タイの実業家らとヒルトライブ社を2013年に設立し、4軒の農家と試験的に始めた。言葉の壁があった。雨期には病気になる鶏も出た。抗生物質不使用を貫くために、ターメリック(ウコン)を飼料に混ぜて与える手法を開発した。住民間のやっかみを防ぎ、地域全体の底上げを図るために、鶏卵農家以外の農家には有機飼料の生産を委託して巻き込んだ。わずかだが、事務スタッフにもアカ族の人を雇った。こうして、ようやく規模拡大のめどが立った。
1軒当たり700羽の鶏と有機飼料は、ヒルトライブ社が提供する。アカ族の人たちは日常的な飼育と採卵、それに有機飼料の生産を担当する。こんな役割分担で、タイで初めて「有機放牧の卵」の商業的な供給を果たした。
2017年には毎月約50万個の卵を供給できるようになり、国内だけでなく中国・香港からも引き合いがあった。農家の現金所得は倍増した。
軌道に乗ったかと思われたときに、新型コロナの直撃を受けた。輸出の話は立ち消えになり、外国人向けホテルなどの販路も細った。その間に「オーガニック」をうたう業者が増え、競争が激化した。
案内してくれたチョムチュンさんは「鶏卵を手がけていないアカ族の人たちはみな鶏卵農家になりたいと希望している。だが、その希望に応えられずにいる。会社はまだ利益を上げるところまでいかず、慢性的な資金不足だからだ。国による支援もなければ、有機放牧鶏卵の認証制度もなく、苦戦している。けれど、ブロッサム氏は常々ここで成功すれば世界の貧しい農村を救うモデルになると言っている」と話す。
タイ政府は環境への影響をできるだけ抑えながら自然資源をより効率的に利用する「バイオ環境グリーン経済モデル(BCG)」の追求を掲げている。ヒルトライブ社はこの事業で2022年と2023年のBCG賞(最も持続可能な食料農業モデル)を受けた。
アニマルウェルフェアの向上でも、国際NGO「コンパッション・イン・ワールド・ファーミング(CIWF、世界の農場に思いやりを)」(本部・ロンドン)の「2022年持続可能な食料と農業賞」を受けている。
同社はホームページで、「この事業は『貧困をなくそう』を始め、国連が提唱する17の持続可能な開発目標(SDGs)のうち、11の目標にかなっている」と主張している。