国連の持続可能な開発目標(SDGs)では、6番目の目標として「安全な水とトイレを世界中に」が掲げられています。いま地球では安全な飲み水を利用できない人が22億人にのぼります。このうち1億人以上が、河川や湧き水などを水源にした水を、衛生的な処理がなされないまま使っています。国連によると、細菌などで汚染された水は、下痢や感染症を引き起こし、毎日1500人近い乳幼児が命を落としていると言われます。こうした現状を変える野心的な取り組みをアフリカ東部の国、ケニアの農村で取材しました。

水くみ場は家から1キロ、1日に何往復も

ケニア西部最大の都市、キスムを早朝に発ち、ウガンダ国境に延びる幹線道路を西へ向かった。片側1車線の道は舗装されているものの、路面にはところどころ赤茶色の土がうっすら積もっている。1時間ほど走ると、家や商店はまばらになり、緑が濃くなってきた。道端では、女性たちが地べたに座り込み、古着や野菜などを売っている。わき道に入ると、赤土を固めた道となり、幹線道路に沿って立っていた電柱がなくなった。さらに30分ほど走った所で車を降り、畑道を縫うように20分ほど歩くと、目指す場所が見えてきた。

シアヤ郡ルンダ地区の村外れにある水くみ場。コンクリートで固められた壁面からパイプが出ていて、水が流れている。ちょうど女性が黄色いプラスチックのバケツに水を入れているところだった。家から1キロぐらい歩いてきたという。1日に数回繰り返す。「この場所ができるまでは、遠くの河岸まで上り下りしながら通っていた。ここは近いので、とても楽です」と言う。話をしている間にも、水をくみに来る人が絶えない。

水くみ場でタンクに水が入る様子を見る女性=2024年2月26日、ケニア西部シアヤ郡、中野智明氏撮影

少し離れた別の水くみ場を訪ねると、子どもが先客だった。学校から戻ると、毎日、ここにやってくるという。「両親は農作業や家の仕事で忙しいので、水くみは僕の日課」と照れながら話した。手押し車で水タンクを運ぶ女性や、水タンクを背負ったロバが次々にやってきた。この間も水は途切れることなくパイプから流れ出ている。

水くみに来た子ども。学校から帰宅した後の日課だという=2024年2月26日、ケニア西部シアヤ郡、中野智明氏撮影

手押し車にタンクを載せて水くみ場に向かう女性=2024年2月26日、ケニア西部シアヤ郡、中野智明氏撮影

水くみ場の青いディスペンサーの中には……

水くみ場のわきで目をひくのが、青いプラスチック製の容器だ。すべての水くみ場に、郵便ポストのように設置されている。容器はディスペンサーになっていて、バルブを開けると、液体が出る仕組みになっている。村人は、20リットルのプラスチックのタンクをいっぱいにすると、ディスペンサーから、くんだばかりの水の中に液体を注ぐ。水をくみに来た人すべてが同じことをしている。習慣となっているようだ。

タンクに水を入れた後、ディスペンサーから塩素を入れる男性=2024年2月26日、ケニア西部シアヤ郡、中野智明氏撮影

「ディスペンサーの中には希釈された塩素の液体が入っています」

説明してくれたのは、容器を設置・管理する国際協力NGO「エビデンス・アクション」のプログラムマネジャー、サムソン・アンドゥンガさんだ。

「水くみ場の水は、湧水(ゆうすい)や川などから簡易パイプでそのまま引いています。原水そのものだったり、流れの途中で、細菌や動物の糞尿(ふんにょう)などで汚染されたりしている可能性があります。そのため水くみ場で塩素を混ぜることで、水を確実に消毒することを目指しています」

水くみ場に設置されたディスペンサーを確認する「エビデンス・アクション」のプログラムマネジャー、サムソン・アンドゥンガさん(右)ら=2024年2月26日、ケニア西部シアヤ郡、中野智明氏撮影

ディスペンサーからは、バルブをひねるごとに、3ミリリットルの塩素が出る仕組みになっている。世界保健機関(WHO)の基準に沿って、きちんと消毒効果があり、残留塩素などの問題が起きない適正量だという。塩素を注入した後、村人は頭の上にタンクを載せるなどして、家路に向かう。その途中、揺れるタンクの中で水と塩素が混じり合い、家に着くまでに水は消毒が終わり、安全に飲める状態になっている、というわけだ。また消毒効果は3日間ほど持続し、再汚染を防ぐという。

ディスペンサーが設置される前は、家に戻ってから水を煮沸することが多かったという。しかし十分ではなく、汚染された水が原因とみられる赤痢やコレラ、腸チフス、A型肝炎といった感染症が頻繁に起きていた。とりわけ子どもたちの多くは慢性的な下痢によって、学校を休んだり、栄養失調による発育不良になったりし、最悪の場合は命すら脅かされた。アンドゥンガさんは「(設置)以前と比べると、下痢になる子どもの数がかなり減ったことを実感します」と話す。

科学的な裏付けのある活動

「エビデンス・アクション」は、米国の首都ワシントンに本部を置く。団体の特徴は、その名前(Evidence Action)の通り、科学的に効果があると証明された費用対効果の高い手法を、貧困の現場で実践に移す点にある。主に健康問題の解決を目指し、顧みられない熱帯病(NTDs)や母子保健、気候変動対策といった活動とともに力を入れているのが、清潔で安全な水を確保する「Safe Water Now(いま安全な水を)」というプログラムだ。

アンドゥンガさんによると、給水地点でディスペンサーを活用して水を塩素消毒する取り組みは、「エビデンス・アクション」の親団体にあたる米国のNGO「貧困対策のためのイノベーション(Innovations for Poverty Action、IPA)」が2009年ごろ、ウガンダ国境のブシア郡で実験プロジェクトを始めたのが最初だという。2011年には外部資金を得て、ディスペンサーをカカメガ郡に1300基、翌2012年にはシアヤ郡を中心に1500基、それぞれ設置し、その後、各地に広がった。このプロジェクトに活動を特化するため、IPAから派生して2013年に結成されたのが「エビデンス・アクション」だ。現在、ケニア西部の九つの郡で約1万9千基を設置・運営している。さらにこの取り組みは国境を越え、マラウイとウガンダの2カ国にも広がり、3カ国を合わせると、設置・運営されているディスペンサーは、5万3千基にのぼるという。

「エビデンス・アクション」は今年1月、米・国際デジタル芸術科学アカデミーが主催し、社会的な影響力を持つ活動やプロジェクトを表彰する「Anthem Awards」の金賞を受賞した。「Safe Water Now」プログラムが、①安価な塩素消毒装置で1万5千人を超える命を救った、②300万件の致死的な下痢の発症を防いだ、③1人当たりのコストは1.5米ドル(約230円)以下である、といった点が評価された。

普及のカギは「安価で使いやすいこと」

「Safe Water Now」プログラムでは、ディスペンサーの設置に加え、2年前から別の方式による塩素消毒にも取り組んでいる。

ルンダ地区に住むジェンズ・ジュマさんの自宅には、深さ20メートルの井戸がある。その水を、太陽光発電で稼働させたポンプを使い、庭に置いている三つのタンクにくみ上げ、ためている。2014年ごろに購入したタンクの容量は、5千から6千リットル。近所の住民が水をくみにやって来る。以前は原水をそのままためていたが、最近、「エビデンス・アクション」が提供する塩素処理装置を導入した。

アンドゥンガさんの説明によると、パイプ型の装置には、筒状の容器が取り付けられ、そこに塩素タブレットを入れる。井戸からくみ上げられた水の一部は、貯水タンクに入る手前で、主パイプから枝分かれした装置を通り、タブレットに触れることで消毒が行われる仕組みだ。電気は使わず、水は自動的に塩素処理され、タンクに水が入った段階で安心して飲めるようになる。

(写真左)ジェンズ・ジュマさん(右)が自宅の庭に設置した大きな貯水タンク。太陽光発電で井戸から水をポンプでくみ上げている。途中、塩素消毒することで、タンクの水はすでに飲用に適している。(写真右)貯水タンクに取り付ける塩素消毒装置。エビデンス・アクションが開発した=いずれも2024年2月26日、ケニア西部シアヤ郡、中野智明氏撮影

装置の開発にあたっては、試行錯誤を繰り返した。最も難しかったのは、水と触れる塩素を常に適正な量に確保・維持することだった。「多すぎても、少なすぎても駄目ですから」(アンドゥンガさん)。その結果、装置に取り付けられたコックを45度開くことで、水量を一定の割合にコントロールし、適切な量の塩素が自動的に水と混じり合うようになった。定期的に塩素濃度をチェックし、問題があればすぐに調整する。

パイロットプロジェクトとして、西部の三つの郡にある67カ所の給水地点に塩素処理装置を取り付けた。想定対象人口は1万3千人。事前の調査では、塩素や煮沸などによって処理された水を使っていた住民はわずか11%で、5歳未満の子どもの下痢の発生率は16~18%だった。装置設置後に実施した、家庭での水のサンプル調査では、78%で塩素が検出され、消毒されていたという。

シアヤ郡の保健当局者、ゴッドフレイ・コトニャさんは「保健衛生の観点から見ると、安全で清潔な水へのアクセスが限られているということが、地域の最も大きな課題だ」と話す。「まだ具体的な成果を数字でまとめていない」としつつ、「子どもたちの下痢は目に見える形で減っている。今後、どのような変化をもたらすか、注意深く見守りたい」と期待を示した。

プログラムで使われている塩素消毒装置は、いずれも安価で簡易なもので、使いやすさが定着や普及を支えている。一方で、塩素による化学的な処理をしている点や農村部に展開している点などから、塩素濃度の維持や消耗品である塩素の補塡(ほてん)、装置の点検整備など、日頃からの保守管理が重要になっている。

保守管理の様子を取材した。朝9時すぎ、シアヤ郡ウグンジャにある「エビデンス・アクション」の地域オフィスにバイクが待機していた。給水地点で装置の保守や点検を行うチームのメンバーだ。9人が手分けして、担当するシアヤ郡とカカメガ郡の給水地点3200カ所を、毎日巡回する。1日の平均移動距離は80キロ。荷台には、新しいディスペンサーをはじめ、補塡する塩素タブレットが入った段ボールや液体のボトルなどが山積みになっている。また給水地点の地元の住民もプロモーターとして採用され、日々の保守を行っている。こうした保守点検チームの作業はGPSによって時間と場所が記録されている。

バイクで給水地点を巡回し、装置の保守や点検を担うチーム。9人が手分けして、担当するシアヤ郡とカカメガ郡の給水地点3200カ所を毎日定期的に巡回する。1日の平均移動距離は80キロ。荷台には、新しいディスペンサーをはじめ、補塡する塩素タブレットが入った段ボールや液体のボトルなどが山積みになっている=2024年2月26日、ケニア西部シアヤ郡ウグンジャ、中野智明氏撮影

水くみ場で、塩素の残留量を確認するスタッフ=2024年2月26日、ケニア西部シアヤ郡、中野智明氏撮影

水の塩素処理で子どもの死亡率が25%減少

「エビデンス・アクション」によると、「Safe Water Now」プログラムの伸長の背景には、科学的な研究成果の裏打ちがあるという。

米シカゴ大学のマイケル・クレーマー教授らのチームは、過去10年以上にわたって、安全な水と子どもの死亡率との関係を数値化する研究を進めてきた。「エビデンス・アクション」が提供したデータなどを分析し、他の研究と比較した結果、①給水地点に設置した塩素ディスペンサーは水の消毒のための他のいかなる方法よりも利用率が高い、②水の塩素処理によって5歳未満の子どもの死亡率が25%減少することが期待される、③塩素ディスペンサーは1人あたりの経費は年間1.5米ドルで子どもの健康改善を目的とした他の解決方法と比較した場合、最も費用対効果が高いーーといったことが証明されたという。

クレーマー氏は、いずれも米マサチューセッツ工科大(MIT)教授のエスター・デュフロ、アビジット・バナジー両氏とともに、「世界の貧困を軽減するための実験的なアプローチ」が評価され、2019年にノーベル経済学賞を受賞した。

コスト面では、プログラムで利用する塩素消毒装置が安価で提供できることが特徴の一つに挙げられる。アンドゥンガさんによると、ディスペンサーの材料は全て国内で調達ができるため、現在、ケニアで利用する分については、国内で製造しているという。さらなるメリットとして、水の煮沸が不要になったため薪の消費を減らすことになり、「資源の節約だけでなく、煙による健康被害や二酸化炭素排出の軽減・削減効果につながっている」(アンドゥンガさん)という。プログラムでは、温室効果ガスの削減を炭素クレジットとして取引することで、再投資をしているという。