3人乗りバイクで命を救う ネパールの毒蛇被害者の搬送ボランティア
毒蛇にかまれて亡くなる人が多いネパール。救急搬送のインフラが不十分な農村で、バイクで患者を運ぶプログラムが続けられています。

毒蛇にかまれて亡くなる人が多いネパール。救急搬送のインフラが不十分な農村で、バイクで患者を運ぶプログラムが続けられています。
世界保健機関(WHO)が「顧みられない熱帯病(NTDs)」の一つに指定する、蛇咬傷(へびこうしょう)。ネパールでも毎年千人以上が亡くなっていると試算されています。被害を深刻にしているのが、医療へのアクセスの問題で、犠牲者の8割が治療を受ける前に亡くなっていたという調査もあります。そんな状況を劇的に改善したのが、バイクによる搬送ボランティアプログラム。シンプルな取り組みでも、大きな成果を生んでいます。現地を取材しました。
世界最高峰のエベレストを始め、8千メートル峰を8座もいただく山岳国として知られるネパール。しかし、南部のインド国境付近は標高70メートルほどの「タライ」と呼ばれる低地が広がる。その中にある、ネパール東南部のゴリガン村を訪ねた。
首都カトマンズから国内線と車を乗り継いで足かけ2日。うっそうとした森を抜けると、マスタードやソバの花が一面に広がる平地に出た。昼間でもうっすらともやがかかり、休耕地にはわらが積み上げられていた。特に毒蛇の被害の多い地域で、地元の医療関係者からは「ホットスポット」と言われる地域だ。
ゴリガン村で米やマスタード、芋などを育てる農家モティ・トゥドゥさん(55)は、2016年の雨期の朝、家の近くの小川の近くでヤギのえさのために、草刈りをしていた。すると黒い全長40~50センチほどのコブラが鎌首をもたげているのに気づいた。「カエルを狙っていたようで、その近くの草を刈ってしまった」。コブラは彼女の左手の人さし指にかみついた。
一瞬のことにパニックになった。これまで村では何人もが毒蛇にかまれて亡くなっていた。
WHOの試算によると、ネパールでは農耕地帯を中心に全国で年間2万人が毒蛇にかまれ、千人以上が亡くなっている。草をかき分けて仕事をしたり、遊んだりすることの多い、農家や子どもたちに被害が多いのも特徴だ。毒蛇による被害「蛇咬傷(へびこうしょう)」を、WHOは「顧みられない熱帯病(NTDs)」の一つに指定する。
モティさんの住むような農村部では、医療機関が無いところも多い。救急車などのインフラも不十分なため、毒蛇にかまれて亡くなった患者の8割が治療を受ける前だったという調査もある。
こんな状況を改善したのが、蛇にかまれた人を3人乗りで支えながら、バイクで医療施設まで運ぶボランティアプログラムだ。農村部には車の所有者が少ないことに加え、道路状況も悪く、バイクでの搬送が選ばれた。
モティさんの場合も、同居していた妹が近所の人に頼んで、同じ村に暮らしている農家のハポン・マルディさん(46)を呼びに行ってもらった。
友人とチャイを飲みながら話していたハポンさんは、愛車のバイクにまたがって、モティさんの家に急いだ。恐怖で震える彼女を他の村人に支えてもらいながら、40分ほどのところにある治療施設のあるダマック市に向かった。
「どうせ助からない。家に帰してくれ」。途中でモティさんはそう叫んだが、ハポンさんは「どうしても連れて行く」と声をかけ続けた。モティさんは途中で意識を失った。
ダマック市の毒蛇治療センターには、6人の専従スタッフが24時間3シフト制で毒蛇被害者を受け入れている。どの蛇にかまれたのかを特定し、容体を観察する。症状が出た場合は、蛇に応じた蛇抗毒素(血清)の投与や酸素吸入などの処置を受ける。
毒の回りの早さがコブラの特徴で、意識のないモティさんは速やかに血清を投与され、1、2時間で意識が戻ったという。もしも迅速な搬送がなければ、モティさんの命は危なかった可能性が高い。
「運ばれている間の記憶はほとんどないが、私を運んでくれた彼は命の恩人です。新しい人生を手に入れたようなものです」。今は当時マレーシアに出稼ぎにいっていた夫ニコラスさん(60)と共に幸せに暮らしている。
モティさんの家から数百メートル離れたところに住むサルミラ・ベスラさん(20)も毒蛇被害者の1人だ。
2023年10月のある日。午後7時半ごろに自宅前の庭で家族と夕食を食べていると、左足のくるぶしにヒヤリとする感覚を感じた。見ると、黄と黒のしまの蛇がかみついていた。
サルミラさんもハポンさんが治療センターに搬送した。幸い毒が体には入り込んでいなかったが、「すぐに連れて行ってくれたハポンさんには感謝している」。そう話すとサルミラさんは当時1歳だった娘を抱き上げた。
2人と同じ村に住むハポンさんは、10年以上ボランティアを続ける。始めた当初は2千人ほどが暮らす村でバイクを持っているのが2人だけだったということもあり加わった。かまれたのが無毒の蛇だった人も含めて100人以上を搬送し、ほとんどが回復した。「何より村の人が回復して戻ってくるのがモチベーションで続けている」とほほえむ。
このボランティアプログラムを始めたのは、治療センターのあるダマック市から60キロほどのダラン市にあるBPコイララ健康科学大学のサンジブ・クマル・シャルマ教授だ。
被害を調べるなかで、あることに気がついた。バイクを使用して来院している患者の生存率が高かったのだ。
「そこで私たちは、運輸局からバイクの所有者の名前を集め始めました。そして村々を巡って、バイクの持ち主と患者搬送のボランティアに参加してくれないか、と呼びかけたんです」
支払われるのは、ガソリン代と少しばかりの謝礼のみ。ボランティアに参加した所有者は写真と名前、住所、もしあれば電話番号を登録し、一覧は各地の保健所などに張り出され、周知を図った。「蛇にかまれたら、バイクボランティアを探し、ダマックへ行って命を救おう」とのスローガンをそえた。
2004年の7カ月の試行期間には、対象地域の毒蛇による致死率が前年の10.5%から0.5%に激減。「目を疑いました。信じられずデータの精査をやり直して発表が遅れたほどです。でも、それほどまで効果があったんです」。サンジブ教授は今でも興奮しながら話す。
驚くべき効果に、ネパール保健人口省も2019年に制定した毒蛇治療のガイドラインにバイクボランティアを紹介。早期搬送と治療の重要性を強調した。同省のヤドゥ・チャンドラ・ギミリ疫学疾病局長も「早期搬送に対応するエリアが増えれば間違いなく死亡者数の減少に貢献できるはずだ」と太鼓判を押す。
ボランティアプログラムはその後も続けられた。近年はバイク所有者も増え、ボランティアによって搬送される人の割合は低下した。
ただサンジブ教授はプログラムの意義を強調する。「今でも6割近い被害者はバイクで搬送されてくる。ボランティアプログラムで、蛇にかまれたら、すぐにバイクで治療施設に運ぶという重要性が広く伝わった証拠だろう」