紛争、誘拐、気候変動 「アフリカの巨人」ナイジェリアの苦悩
アフリカ最大の経済国ともいわれるナイジェリアに、紛争や誘拐、気候変動などにより苦しむ人々がいます。成長の陰にある苦悩に現地で向き合う国際援助組織の報告です。

アフリカ最大の経済国ともいわれるナイジェリアに、紛争や誘拐、気候変動などにより苦しむ人々がいます。成長の陰にある苦悩に現地で向き合う国際援助組織の報告です。
2億人を超える人口と4千億ドル超の国内総生産(GDP)などから、アフリカ最大の経済国ともいわれるナイジェリア。注目を浴びる経済成長の陰で、人々は紛争や誘拐の恐怖におびえ、気候変動などがもたらす物価高は彼らの暮らしを圧迫し、子どもたちの成長を脅かす。現地で支援活動をする赤十字国際委員会(ICRC)駐日代表部の真壁仁美さんが、ナイジェリアの見えない苦悩を報告する。
「きっと、泣きすぎて、目が耐えられなくなったんだ」。ナイジェリア北東部の町、ムビで暮らすモハメッド・スレイマンさんは、右目の視力を失った理由をそう話す。2014年に武装集団に町が襲撃され、支配下に置かれた際に、妻と6人の子どもが誘拐された。それ以来、涙に暮れる日々を送り、3年前に失明したという。
「近所に武装集団のシンパがいるらしい。彼らに目を付けられたんだ」。娘が連れていかれそうになった時、スレイマンさんは、かろうじてその腕をつかむことができた。必死で引き留めようとしたが、痛がる娘の姿を目にし、抵抗するとかえって危険だと思い、その手を離さざるを得なかった。家族7人の消息は、いまだ誰一人として分かっていない。
スレイマンさんが暮らすムビは、カメルーンやチャドの国境に近い。かつては商業都市として栄えていたが、紛争の影響や治安の悪化が人々の日常を脅かし、不穏な空気が町中に漂っている。その最たるものが「誘拐」だ。身代金目的のものもあれば、子どもや女性を自分たちの役に立つようにそばに置くケースもある。
紛争地で人道支援をおこなう赤十字国際委員会(ICRC)は、ナイジェリア全土で約2万4千件の行方不明案件を扱っている。紛争下における追跡調査・再会支援は、ICRC独特の任務の一つで、その土地の地理や言語にたけている地元パートナーのナイジェリア赤十字社と連携する。聞き取り調査をはじめ、ラジオや掲示板を使って居場所を突き止める。消息がつかめた時点で、家族間で連絡を取れるようにしたり、再会へと導いたりする。2023年には1462人の所在を確認し、未成年者を含む15人が家族と再会したほか、687通の手紙を届け、200件の電話連絡を仲介した。
ロシアーウクライナ紛争や、ガザーイスラエル間の戦闘をきっかけに中東全体に戦火が広がったことがニュースで取り上げられる一方で、アフリカ最大の経済国ともいわれるナイジェリアの紛争は、世間の耳目から遠ざかり、人道援助関係者の間では「忘れ去られた紛争」と言われている。ナイジェリアの面積は、日本の約2.5倍で、世界第6位の人口2億2920万人(「世界人口白書2024」)を抱えるアフリカ中西部の国には、250以上の民族と500以上の言語が存在する。
反政府武装集団が北東部ボルノ州で数百人の女子生徒を誘拐し、大きく報じられたのが、ちょうど10年前の2014年だ。2016年、2017年に一部の女子生徒が解放された際には、私たちICRCが中立な仲介者としてその身柄を引き取り、政府当局に渡す役割を果たした。こうした誘拐事件は、今もナイジェリアの北東部では日常茶飯事で、恐怖と人間不信に陥った住民は、不安な日々を送っている。
ICRCでも、2018年に同僚2人が誘拐され、一時活動を縮小せざるを得なかった。最近は規模が少しずつ戻っているが、私が8月上旬から3週間程度現地入りする少し前にも自爆テロがあり、インフラが破壊され、電気や通信に影響が出ているとの報告があった。路上を歩くことは一切許されず、近距離でも車を使う。唯一歩くことが許されるとしたら、ICRCの宿舎とオフィスの間の約100mあまりの直線道路のみ。その際でも、それぞれの門番がトランシーバー片手に両端で見守ってくれて、出発と到着を確認し、報告し合う。
援助が実施されているフィールドに出るときは、毎朝移動の安全を確認してから出発し、出先でも定時に複数回無線で無事を報告、日没までには戻ってくるというルーティンを徹底している。複数のチームがムビを拠点に遠隔地に出向いて活動しているため、後方支援をする部門の長が、当局や自治体などの当事者や、ナイジェリア赤十字社の支部などに早朝から連絡を取る。問題ないと判断すれば、通常午前8時をめどに、チームリーダーにメールでゴーサインを出す。それをもって初めて移動可能となるが、遅い日には午前10時過ぎに許可が下りることもあり、片道2時間の行程の場合、現地滞在時間があまりにも短くなってしまうため、フィールド行きそのものがドタキャンになり、後日再調整することになる。
日本で赤十字というと、「医療」や「献血」、「災害救援」のイメージかもしれないが、ICRCは創設から1世紀半以上にわたり、紛争下のあらゆる人道ニーズに応えている。避難者支援や水や電力、衛生面でのインフラの補完をはじめ、地雷や不発弾などのリスクの喚起、人質や行方不明者の家族対応を含めた民間人の保護、救命・緊急医療支援、遺体の身元確認と尊厳を尊重した管理、そして人質解放・被拘束者釈放時のサポートなどだ。ナイジェリアでも、主に北東部で多岐にわたる活動を展開している。行方不明に関する問題では、家族や被害者、生存者に対し、心のケアや生計支援、行政・法律面でのサポートを提供。また、レジリエンス(困難を克服する力)強化も兼ねてコミュニティーに出向き、戦闘や暴力から逃げる際に家族の離散を防ぐことを目的としたセミナーなども実施している。そして、国や地方の当局に対しては、行方不明者が出ないようにすることや、安否調査の実施などを継続して求めている。
ICRCは、紛争当事者のどちら側にもくみせず、宗教や思想などを問わずに「中立、独立、公平」を掲げる組織として、常に当事者と直接対話し、戦時の決まりごとを定めた国際人道法を守るよう非公開で接触している。国家だけでなく、武装集団とも対話する。2024年、ICRCは人道上注意を必要とする武装集団が世界に450以上あるとし、約2億1千万の民間人がその直接的な支配下、もしくは、影響下に置かれていると見積もった。ICRCは、このうち6割の武装集団と接触している。
1歳2カ月のデイビッド君は、ムビの「栄養治療センター」に入院した当時、体重2900グラム、腕回りは7センチだった。腕回りが11.5センチ以下だと「重度の栄養失調」とされ、合併症を伴う場合は即入院、集中治療を要する。ICRCが支援する同センターでは、臨床ケアと治療食を提供。デイビッド君も治療用ミルクでまずは代謝機能を整え、筋肉の発達と体調の安定を最優先に治療した。
2023年のデータでは、ナイジェリアは、慢性的な重度の栄養不良の子どもの数で世界第2位となっている。5歳未満の子ども10人のうち3人が栄養不良の状態にあるとされる。ICRCが現地で支援する医療施設では、深刻な栄養失調を抱える幼児の数が前年比で24%増。今年第2四半期には、5歳未満児の合併症を伴う重度の急性栄養不良が、前年同期比で48%増加した。同様に、この1年間で、妊婦や授乳中の女性1万4千人が栄養失調の治療のために入院している(前年同期比7.6%増)。複数の人道支援機関の見立てでは、今後数カ月、ナイジェリアとその周辺国で610万人が食料不足に陥る見通しで、過去4年間で最悪の事態となっている。これは、2024年上半期にこの地域における戦闘など暴力が伴う事件が、前年同期比で58%増加していることも影響している。
食料不足の理由としては、①紛争、②気候変動、③経済危機が挙げられる。紛争により安全に移動できないため、農業を営めず、食料も調達できない。集中豪雨や干ばつ、熱波などの気候変動により、農作物が育たない。インフレ率は34%近くまで上昇し、ここ数十年で最高値を記録。トウモロコシやコメなどの穀類、肉や魚、野菜や果物などの価格が軒並み上昇している。また、自国通貨・ナイラの暴落も経済危機に拍車をかけ、燃料価格や電気代なども高騰。こうした状況を受けナイジェリア各地でデモが起こり、警察や治安当局との衝突も起きている。暴力の連鎖と気候変動がもたらす結果は、人びとの生活を壊滅的な状態に陥れている。
「生活は苦しく、病院で受診するお金もなかったから、祈祷(きとう)師のところに行ったり、宗教的な儀式も試したりしてみたけれど一向に改善しなかった」と、デイビッド君に付き添い、病院に寝泊まりしている母親は語る。夫は家具職人だったが、材料費が上がり、経済危機で家具を買う人も減り、収入がほとんどないという。昨年まで農地を借りて耕していたが、その農地も借りられなくなり、自分たちで食料を調達することができなくなった。「地元の診療所にこのセンターでの治療を勧められたけれど、夫に『そんなお金がどこにあるんだ』と言われて。でも妹と相談して、とりあえず行くだけ行ってみようと思った。もし治療にお金が必要だったら、あきらめて帰ろうと話していた」
ムビの栄養治療センターでは、登録などを含め初診料として300ナイラ(日本円で約27円)を支払えば、入院費用は栄養食や治療、薬を含めてすべて無料。ICRCがそれらを負担している。デイビッド君は、入院して6日目で体重が500グラム増え、腕回りは1.3センチ太くなった。この先の目標は、安定の目安となる、「寄りかかれずに1人で座れること」だ。
2014年と2015年の武装集団の襲撃により、ラミ・ダンラディさんは2度、山に避難した。家も農地も、すべてを失い、妹は逃げ遅れて行方知れずとなり、いとこ10人が殺害された。「きっと妹はどこかへ連れていかれた。無事を祈るしかないけれど、つらすぎて眠れない日もある」と語る。避難してきたムビで今の夫と出会い、現在は「トム・ブラウン」と共に、正しい栄養摂取を啓発するボランティア活動に従事している。
「トム・ブラウン」とは、食料危機と栄養不足を打開するため、昨年からICRCが導入した栄養価の高い離乳食やおかゆとして用いられる伝統的なレシピのこと。トウモロコシやキビ、ソルガム(イネ科のモロコシ)、大豆、落花生、そして最近スーパーフードとして日本でも注目されるようになったモリンガを原材料とする。それらを粉末にしてすべて混ぜ合わせると茶色になること(=turn brown)から、トム・ブラウンと呼ばれるようになった。現地で入手可能な原材料を用いて、手軽に栄養摂取できるようにした。においも、見た目も、味も、きな粉ドリンクさながらだ。
このトム・ブラウン事業では、地元の集まりやボランティア育成のための女性(母親)への研修を通じて、栄養摂取に対する意識を高め、栄養状態を見極めて、医療的介入が必要かどうかを判断できるように、地域社会を啓発している。トム・ブラウンの材料を支給する際にセミナーを同時に開き、正しい授乳の仕方や、病気予防のための衛生管理、子どもを産むかどうかをめぐる家族間の話し合いの必要性などを説く。そして、支援依存にならないように、栄養改善の取り組みが自治体によって運営される重要性も説き、男性には妻や娘が参画できるように理解を求める。材料調達の点からも、男性を巻き込むことは必要不可欠だ。
「手洗いをするなど衛生的に保つこととか、妊婦はどんな栄養を取ったらいいのかとか、マラリア予防に蚊帳を使ってね、なんてことも伝える。とても意味のある仕事で、私自身もいろいろ学んでいる。何より人を助けられることがうれしい」とダンラディさんは語る。
ナイジェリア北東部では2024年10月時点で、ICRCとナイジェリア赤十字社が食料不足に対応する支援を行い、18万7千人がその恩恵を受けている。
紛争地で活動するICRCは、こうした三重苦、四重苦にあえぐ人たちに世界中で寄り添っている。2024年にICRCの活動資金を最も投入する国と地域の上位は、ウクライナ、シリア、イエメン、アフガニスタン、エチオピア、ソマリア、コンゴ民主共和国、イスラエルとパレスチナ被占領地、ナイジェリア、イラクとなっており、ソマリアやイエメン、アフガニスタンなどは過去10年の「常連」だ。
日本で「人道支援」をあまり身近に感じないとしたら、それは、海外でおこなわれている支援、といったニュアンスが含まれているからかもしれない。外務省によると「人道支援とは、主要な国際機関等により『緊急事態またはその直後における、人命救助、苦痛の軽減、人間の尊厳の維持及び保護のための支援』と定義されており、我が国の外交の柱の一つである『人間の安全保障』の確保のための具体的な取組の一つです」とある。実際、日本国内で地震や水害が起きた時には、被災者支援、災害救援、と言い、国内で苦しんでいる人たちを助ける行為を「人道支援」とは言わない。
「人道」は英語で「Humanitarian」といい、語源となっている「Humanity」は日本語にすると、「人類、人間性、博愛、慈悲、人情、親切」と、とても幅広い解釈ができる言葉である。この「人情」と「親切」を世界にも向けて、その人たちの境遇に関心を持ってもらえれば、それで立派に人道支援の一歩を踏み出すことになるのではないか。
2025年に戦後80年を迎える日本。出口の見えない紛争で苦しんでいる人たちが、心から望んでいる「終戦」と「平和」を経験した日本だからこそ、できる支援、響く言葉があるのではないか。私たちは、世界のどこかで紛争が続く現実に慣れきって、無意識に容認してはいないだろうか。住んでいる場所や生まれた国が違っても、地球の同じ時間軸の中にいる仲間として、世界の片隅で絶望する人々に希望を与えられないだろうか。「すべての人間の命は等しい価値を有する」という価値観をみんなで共有したい。