ファッションと国際協力 ドミニカ共和国でユニホームを作る意味
ドミニカ共和国の農園で働く人たちにユニホームを作った谷裕介さん。ファッションと国際協力の融合を模索した一つの結果でした。その思いを谷さん自身がつづります。

ドミニカ共和国の農園で働く人たちにユニホームを作った谷裕介さん。ファッションと国際協力の融合を模索した一つの結果でした。その思いを谷さん自身がつづります。
ドミニカ共和国のカカオ農園で働く人やヘルスプロモーターたちに、ユニホームを作った人がいます。モデルや俳優としても活躍する谷裕介さん。「共感」を呼ぶプロたちに魅力的なコンテンツを創ってもらおうという国際協力機構(JICA)の「Artist in Project」の一環です。谷さんはそのプランナーとして、どんな思いでユニホームを作ったのでしょうか。ファッションと国際協力の融合の可能性について、谷さん自身に書いてもらいました。
大学院時代、銀座の街角で耳にした一言が、いまだに胸に刺さっている。「1900円だから買う」。女子高校生の何げない声だった。
「価格」は、果たして購入の理由や動機になり得るのか。その選択は「正当」なのだろうか。彼女が手にした服のタグには「メイド・イン・バングラデシュ」と刻まれていた。私にとっては、ひどく遠く、ひどく重い響きだった。「ここに行かなければならない。確かめなければならない」。そんな衝動に駆られ、その夜に航空券を手配した。
バングラデシュの縫製工場を訪れた私は、熱気と、果てしなく広がる端切れ山を目の当たりにし、圧倒された。脂と汗が布の繊維にしみ込んだような独特のにおいが漂う。
そこにいたのは、ほとんどが若い女性たちだった。黙々とミシンを踏み続ける。来客があったせいかもしれないが、彼女たちからは休もうとする気配すら感じ取れなかった。目を閉じると、銀座の女子高校生の声が脳裏に響く。彼女の「1900円」が、ここにいる労働者たちの命を削っているように思えた。
ファッションは、本来、刹那(せつな)的なものだ。新たなデザイン、新たなトレンドが生まれ、消費者はその一瞬の輝きに魅せられる。流行は波のように寄せては返し、服は「買われる」ことで価値を持つ。しかし、商品の裏側にある労働、そこで起こり得る搾取や環境破壊は、消費者の目には映らない。
一方で、国際協力は、「時の流れにあらがう行為」と私は思っている。社会に根を下ろし、持続的な変革を試みる。即効性を求めるものではない。人々の意識を変え、社会の構造を改めるには、何年、何十年という時間がかかる。それは、ファッションが持つ刹那の輝きとは対極にある価値だと思う。
流行と持続。ファッションは瞬間の美を求め、国際協力は永続的な改善を目指す。この相反する二つの特性と向き合うことが、私の課題となった。
2013年、バングラデシュで縫製工場が入ったビル「ラナ・プラザ」が崩壊し、1100人以上が死亡し、2500人以上が負傷した。私はそのニュースに愕然(がくぜん)とした。崩れた建物の中から引き出された衣服には、世界的に有名なブランドのロゴが刻まれていた。消費者が求めた「安くて手軽な服」の代償が、そこにあった。だが、崩壊事故が報じられても、消費者はそれらのブランドの服を買い求めていた。ラナ・プラザは、私たちの記憶の中で「一つの事故」になってしまったのか、と思った。
その後私は、モデルや俳優、プランナーとしてファッションにかかわる仕事をしながら、ファッションを通じた開発支援を模索し始め、国際協力の現場に立った。ファッションの力を「刹那の美」から「持続の力」へと転換できないか。その答えを求めて、JICAの「Artist in Project」に参加することになった。芸術性とエンターテインメントを国際協力に持ち込むーー。それがこのプロジェクトの理念であった。
2024年、私はこのプロジェクトでドミニカ共和国における「ユニホームプロジェクト」に携わった。作業服をデザインし、現地で製造することで、雇用創出と産業振興の両方を目指した。
ユニホームは単なる服ではない。それを着ることで労働者は誇りと責任を自覚し、職業意識を高める。医療従事者が白衣を着ることで専門性が強調されるように、農業労働者や工場労働者も、統一されたユニホームを着ることで、自らの職業への誇りを持つことができるだろう、と考えた。デザインについては、衣服と暮らしの結びつきを大切にする縫製職人の高畠海さんと共に、伝統服のチャカバーナのアイデンティティーや機能性を落とし込んだ。
ドミニカ共和国の現場を視察している最中に、ふと胸を刺すような瞬間があった。
農業労働者たちと対話を重ねるうちに、「ユニホームを提供したところで、彼らはそれをすぐに売り払ってしまうかもしれない」と指摘されたのだ。彼らにとって、服は「誇り」ではなく「換金できるもの」にすぎない。食べるものも満足に得られない労働者にとって、布は生活費の一部に過ぎない。その言葉は、ファッションを「楽しむ」という感覚が、彼らにとっていかに遠い概念であるかを物語っていた。
それでも、諦めることはできなかった。ファッションには「刹那の力」がある。ならば、その力を持続の領域に引き込むことはできないか。たとえば、ユニホームを着ることで彼らの社会的評価が高まり、労働環境が改善されるならば、それはファッションと国際協力の「共創」になる。ファッションが一方的な「支援」ではなく、ドミニカ共和国の人たちと「共に創り上げる文化」になる可能性が、そこにある。その思いに共感した農業従事者や政府・国家保健サービス庁との1年にわたる意見交換の末、私の思いは、ユニホームという形に結実した。
この経験を深化させ、私は「服の旅人」というコンテンツを立ち上げることにした。バングラデシュの労働環境、南米チリのアタカマ砂漠に山積する大量の廃棄衣料。これらの現実を、朗読と音楽を融合させた総合芸術として表現する。衣服を「消費財」から「物語」へと昇華させる試みである。
また、衣服を通した教育、「服育」の観点からも、講義や講演し、実際に見聞きした世界を伝え続けていきたい。私は、ファッションに明確な意見や主義を持つことを「ファッション・プリンシプル」とよんでいる。私自身がファッションを考える上で影響を受けた書籍なども紹介し、ファッション・プリンシプルを探求する旅を続けていくつもりである。
ファッションと国際協力。この二つは、いまだに完全に交わることはない。だが、刹那の輝きと持続の力が結びつくことで、世界は大きく変化するかもしれない。
もしも人々が「服を買う」という行為の裏にある物語を知るならば、消費は、消費者と製造者の「共創」へと転じるだろう。ファッションと国際協力の融合。それは今、私たちの目の前に広がる新たな可能性ではないだろうか。