今年8月、アフリカの開発課題をテーマにした国際会議「第9回アフリカ開発会議」(TICAD9)が横浜で開かれます。冷戦終結後、アフリカに関する関心が薄れつつある中、日本政府の主導で1993年に始まったTICADは、日本とアフリカ諸国がともに行動する場として、30年以上たった今も続いています。地理的、歴史的、文化的には決して近いとは言えないアフリカですが、かの地に魅入られ、起業や支援、交流などの活動を重ねている人たちは確実に増えています。世代を超えた交流や協働を進める企業「GENERYS」の分科会の一つ、アフリカワーキンググループ(AWG)は、こうした人たちのネットワーキングの場となっています。TICAD9に向け、AWGの参加メンバーに「アフリカと私」というテーマでアフリカとの関わりや寄せる思い、将来の夢などを書いていただきます。第7回は、西アフリカ・ベナンを拠点に通信スタートアップで社会変革に挑む、大場カルロスさんです。

「行ったことがない場所」を歩いて出会ったもの

25歳まで英語すらまともに話せなかった人間が、西アフリカの農村を通信とデジタルの力で変革しようとしているスタートアップ「株式会社Dots for」を経営しているなんて話すと、大抵は「ウソでしょ?」と驚かれる。5年前の自分に言っても、多分信じてもらえていなかった(一方で「自分ならやりかねない」と言うかもしれないけど)。

実はそれぐらい、最近までアフリカとは縁がなかった。後悔しないように、ただ興味があるもの、やりたいことは全部やってみて、世界の行ったことがない場所を求めてふらふら歩いていたら、気づけばアフリカで起業していた、という感じ。

村のお客さんたちと記念写真(左から4人目が筆者)=2023年8月、ベナン、筆者提供

生まれも育ちも日本。高校生の時、母に「英語くらいは話せるように」とアメリカ短期留学を勧められて行ったのと、親戚を頼ってフランスに行ったくらいで、25歳になるまではごく平凡だった。ところが25歳で母が亡くなった。父も自分が小学生のころに他界していたから、「帰る家」がなくなった。

みんながお正月やお盆に帰省する時も、自分には帰る家がない。「じゃあいっそこの世の全てを見に行こう」と決めて、東南アジアや東欧、アラブ諸国や中央アジア、中南米など、あまり人が行かない地域をあちこち巡るようになった。30代でアメリカに留学したときも、クラスメートがアメリカ国内の観光地を回る中、グアテマラやキューバに引かれて足を運んでいた。

そうして20年近く旅を重ねてきたら、いつの間にか行った国は100カ国近くに達し、英語どころかフランス語とスペイン語まで身につけ、呼ばれる名前も「カルロス」になっていた。実は今の通信スタートアップのアイデアの原型は、当時よく滞在していたキューバで思いついたものだったりするから、人生どこで何がつながるかわからない。

Dots forのサービスを利用する村人たち=2022年5月、ベナン、筆者提供

桁違いの貧しさを目の当たりに

そんな自分が本格的に「アフリカ」を体感したのは、タンザニアで働いた時だった。特に地方の村に行くと、思っていた以上に世界の発展から取り残された人たちがいることに驚いた。世界中を旅したつもりだったけれど、アフリカの農村は桁違いに貧しくて、インフラも整っていない。

でも、彼らはまったく不幸そうじゃない。朝になれば起きて畑へ行き、夕方には村の中心でお茶を飲みながらおしゃべりを楽しむ。ときには踊って、笑って、サッカーの試合の日はテレビがある家の前に大勢が集まる。日が暮れれば寝る。それだけなのに、なぜか生き生きしていて、その姿に衝撃を受けた。

一方で、ちょっとした病気やケガで働けなくなると、収入が途絶える。子どもたちも学校に行かせられなくなる。何もないところでギリギリで生きているという現実も目の当たりにした。村を歩くと、パーツが盗まれてつかない街灯や、干上がったくみ上げポンプ付きの井戸、先生のいない学校なんかが放置されている。タンザニアを含むアフリカには、各国の独立以来60年以上もの間、膨大な支援が入っているはずなのに、いまだ状況が変わらないのはなぜだろうと思った。

フランス語のアニメを見る子どもたち。フランス語の勉強になる=2023年12月、ベナン、筆者提供

「私たち」の物語へ

その時、「ここを変えるのはビジネスだろうな」と直感した。寄付や援助だけに頼るのではなく、「お金を払ってでも使いたい」と思われるサービスを提供することこそが、地域を本質的に変えるんじゃないかと。思い立った時、自分は43歳。父が亡くなったのが53歳だから、あと10年で父の年齢に追いついてしまう。もし父と同じ53歳で人生を終えるなら、アフリカの農村に出会ったのに何もしないまま終わるのは、きっと死に際に後悔する。そう思って、一気に起業へ踏み出した。

当時2歳の娘がいたけど、妻に「アフリカで起業したい」と相談したら、「やりたいならやってみたら?」と言われたのも大きかった。そこから3年が経ち、さらに息子が生まれてその子も今は2歳。2023年には家族でベナンに移住し、セネガルにも事業を広げ、社員は40人を超えるところまできた。サービスを使ってくれる人も数万人単位になってきて、この先どうなるのか、自分でも楽しみでしょうがない。

ベナンの自宅前で家族と一緒に=2024年9月、ベナン、筆者提供

「一生旅人でいたい」というわがままから始まった「アフリカと私」の物語は、今は「アフリカと私たち」へと広がっている。アフリカも日々変わっていくし、自分も仲間たちも変わっていく。その変化を一緒に楽しむのが、旅人として最高の醍醐味(だいごみ)だと思っている。これから先も、いろいろな人と、この旅を続けていきたい。

Dots forのサービスを利用していると、他の人が集まってくる=2023年6月、ベナン、筆者提供