紛争と貧困の背景に 知るほどに多様な大陸の景色:アフリカと私
第9回アフリカ開発会議(TICAD9)を前に、アフリカ大陸に情熱を傾ける人たちが思いをつづります。第9回はコンゴ民主共和国の孤児支援に取り組む田川志織さんです。

第9回アフリカ開発会議(TICAD9)を前に、アフリカ大陸に情熱を傾ける人たちが思いをつづります。第9回はコンゴ民主共和国の孤児支援に取り組む田川志織さんです。
今年8月、アフリカの開発課題をテーマにした国際会議「第9回アフリカ開発会議」(TICAD9)が横浜で開かれます。アフリカに魅せられ、起業や支援、交流などの活動を重ねている人たちが、世代を超えて交流や協働を進める企業「GENERYS」。その分科会であるアフリカワーキンググループ(AWG)のメンバーに「アフリカと私」というテーマでアフリカとの関わりや寄せる思い、将来の夢などを書いていただきます。第9回は、コンゴ民主共和国の孤児支援に取り組む田川志織さんです。
私がアフリカ、途上国に関心を持ったのは高校3年生の時でした。進学するのか就職するのか、どんな道に進むのか。登校中自転車に乗りながらいろいろな将来像が頭の中をめぐっているなか、ふと、ほんとうにふと、子どもの姿が頭に浮かびました。それは寄付金を求めるテレビCMで見るような、服がぼろぼろの黒人の子どもの姿でした。なぜか急に頭の中に浮かんできたその姿は、大学一覧を見ている時も、企業説明会に参加している時も、常に頭の片隅に残り続けました。
きっとこの先進学しても就職しても、この姿は頭の中に居座り続けるんだろう。それは、この先私が楽しく過ごす間にも、自分ではどうすることもできない苦痛の中で暮らし続ける人が世界のどこかにいることに気付いてしまったということでした。気付いてしまったなら、こんなに頭から離れないなら、いっそこの人たちを救うことを仕事にしよう。私が国際協力という道に進むのを決めたのはこんなきっかけでした。
そう決めた17歳の私は、途上国支援のために必要なことを調べる中で「英語も話せない人が現地に来ても迷惑だ」という記事を読み、高校卒業後は英語を学べる地元の短大に進学することを決めました。そして早く自分の目で現場を見て援助活動に携わりたい、と青年海外協力隊(現在は海外協力隊)のアフリカ派遣のポストに応募することにしました。そして20歳の夏、ガーナ共和国への派遣が決まり、私は初めてアフリカ大陸に降り立つことになりました。
ここまで読んでいただいたら分かる通り、私が初めに関心を持ったのは「アフリカ」ではなく「途上国としてのアフリカ」でした。はじめに「アフリカ、途上国に関心を……」と書いたのもそのためです。私はアフリカ自体に関心を持ったのではなく、支援が必要な途上国=アフリカというイメージからアフリカに関心を持ったのでした。
学生という立場から一変し、ガーナの教育現場で働くことになった私は、初めてのフィールドワークを手探りで行いながら、現地の学校の授業改善のために派遣先の教育省の方々と共に活動を進めていきました。
そんな日々の中では日本では考えられないような出来事にたくさん出会いました。13時に始まるといわれた会議は14時になってようやく始まりました。3時間目にあるはずだった授業は、資料がそろわず自習になりました。そんなことは日常茶飯事。そして家では、洗濯物はバケツを使い、水を3回変えながら手洗いしました。雨が降らないため水道は火曜日と土曜日しか機能せず、シャワーは週に2日の贅沢(ぜいたく)になりました。
日本の生活と比べると非効率的で、無駄が多く、一つひとつの作業にとにかく時間がかかる毎日でした。しかし、そんな毎日の「無駄な時間」が教えてくれることがたくさんありました。なかなか始まらない会議を待っている間の散歩で、カカオの実が木の幹になることを知りました。授業が自習になって時間ができたA先生が、隣りのクラスのB先生のお子さんを子守りする姿から、子育ての支え合いを学びました。服を手洗いする時間から、静かに手を動かす時間の心地よさを知りました。週2日のシャワーから、人間の生活と自然がつながっていることを思い出しました。
貧しく、苦しみの中にいるアフリカの人たち。そこから救い出してあげないといけないーー。そんな風に思っていたアフリカですが、実際にその中に身を置いてみると、決して不幸なわけではないように見えました。彼らは金銭的には貧しいかもしれないけれど、目の前にいる人と目の前にある生活をゆっくり過ごしている。そんな彼らの姿は、やるべき事に追われ、数カ月先の予定まで決まっている日本人より、毎日を心地よく生活しているように映りました。
では私の頭の中に居座っている、支援を必要とする子どもは、世界のどこにもいないのだろうか。ガーナから帰国した私はその答えを求めて、アフリカ、途上国、国際協力についてさらに調べ、情報を集めることにしました。
様々な情報を調べて気付いたのは「アフリカ」はとても多様で、幅があるということでした。今思えば当たり前のことなのですが、「アフリカ」が国名ではなく大陸の名前であることに気付いたのです。さらにアフリカの国々にとって「貧困」や「途上国」というのは彼らを構成する要素の一部でしかありませんでした。つまり私の頭の中に居座る苦しむ子どもがいるアフリカも、現地で見た魅力あふれるアフリカも、どちらも間違ってはいなかったのです。
そのことに気付いた私は、困っている人のために働きたいという思いはそのままに、困っている人がどこにいて、どんな課題を抱え、どんな支援が必要なのかを、より詳細に調べ考えるようになりました。
そうした中で私の関心は、漠然とした「途上国の困っている人」から「紛争下で自由を奪われた孤児や国内避難民」という具体的なものへと変わっていきました。さらにその関心はイギリスの大学院での研究を通し、悲惨な紛争被害を抱えながら世界から無視され続ける、コンゴ民主共和国という国に向くようになりました。
しかし、紛争と人道危機が蔓延(まんえん)し、苦しみがあふれているように見えたコンゴ民主共和国でも、これらは彼らを説明する要素の一部に過ぎないものです。支援の必要性に関する調査で現地に滞在した1カ月、支援を必要とする人や課題にもたくさん出会いましたが、同時に私の心を癒し支えてくれる美しい自然や、温かい文化や人にもたくさん出会いました。
こうした経験を通し、途上国としてアフリカを思い浮かべ、助けたいという思いで動き出した私はその夢をかなえながらも、今は少し異なったアフリカの景色を見ています。
私は、今年4月、コンゴ民主共和国の孤児支援を目的とした「コンゴ未来プロジェクト」を正式に任意団体として立ち上げました。この団体では、保護のない孤児たちの養護と自立をのための拠点づくりや、現地の孤児保護機能回復と新たな孤児が生まれないようにするための貧困削減などを目指し、活動していきます。これに加えて、「支援が必要なコンゴ」だけではなく、「魅力あふれるコンゴ」を日本の方々へ伝えていく活動にも力を入れていきます。
アフリカの国々は先進国からの支援が必要な課題を抱えていると同時に、私たちが知るべき魅力も持っているのだと思うのです。未来のために国を発展させ技術を磨いてきた日本を誇りに思いますが、未来のために働き今を疎かにしがちな私たちは、今この瞬間を目の前にいる人と共に心地よく生きるアフリカ諸国の人々から学ぶこともあるのではないでしょうか。
グローバリゼーションの中で世界の国々がさまざまな側面でボーダーレスになりつつあるいま、私たちは「救う側と救われる側」「教える側と教えられる側」という固定的な役割にこだわるのではなく、相互の文化を教え学び、一つの平和な世界実現のために同じ目線で話し合い共に尽力する「同志」のような存在になるべきなのではないでしょうか。