トランプ・ショックは好機? 米国抜きの国際開発支援と日本
米国際開発局の解体で、世界の支援現場にはさまざまな影響が出ています。一方で米国抜きの支援の枠組みを構築する好機との見方もあります。佐藤寛さんが論じます。

米国際開発局の解体で、世界の支援現場にはさまざまな影響が出ています。一方で米国抜きの支援の枠組みを構築する好機との見方もあります。佐藤寛さんが論じます。
トランプ米大統領が打ち出した国際開発局(USAID)の解体は、国際開発支援の現場に何をもたらすのか。さまざまな議論が交わされる中で、開発社会学の専門家である佐藤寛さんは、第2次世界大戦終結以降ながらえてきた「オリエンタリズム」的世界観からの重要な転換点であり、好機であると考えます。西洋世界が非西洋世界を「遅れた他者」とみなすオリエンタリズムからどのように脱却するのか。「米国抜き」の支援の枠組みは可能なのか。その時の日本の選択肢とは。論じていただきました。
米国で第2次トランプ政権が発足して以来、日々のニュースではいわゆる「トランプ関税」が注目を集めているが、国際開発に従事する人々にとってより深刻なインパクトを与えているのが「USAIDの解体」であろう。
この問題をめぐっては、4月19日に国際開発学会などによるセミナー「USAIDの解体、どう受けとめるか」が法政大学で開催され、幅広い関係者が集まり、関心の高さがうかがわれた。また、国際NGO「国境なき医師団」が主催する年に一度の「人道援助コングレス東京2025」(4月22~24日)でも、世界の人道支援がこの問題にどう対応していくかが話題になった。さらに日本の国際開発分野のオピニオン誌である『国際開発ジャーナル』(2025年6月号)も、巻頭の二つの記事でこの問題を取り上げている。
法政大学でのセミナーでも他の場面でも、今回の事態はおおむね「援助疲れ、国内問題回帰」と「支出削減圧力」の文脈で分析されることが多い。確かにその側面があることは否定できない、とりわけ支出削減はイーロン・マスク氏の政府効率化省(DOGE)の効果も大きかったであろう。
こうした分析に基づけば、今回のトランプ政権がもたらす逆風を乗り越えるためには、「国民のODAに対する理解の増進」「幅広いアクターからの開発援助・緊急支援のための資金調達」が適切な戦略となる。そしてこの戦略に基づいて、一般向けアドボカシーとしてのSNSの活用や、政治家に対するロビー活動なども行われている。今回のUSAID問題を「他山の石」として日本にこうした流れが及ばないようにODA広報を強化する、という対応は、現在実施中の支援活動を継続するという意味ではもちろん重要である。しかし、こうした「即応的対応」は第2次世界大戦後80年近くにわたって続いてきた国際開発支援パラダイム(枠組み)が内在する構造的問題を温存することになってしまう、という側面があることを自覚するべきではないか。
トランプ氏就任以来約半年の間に、日本の国際開発支援関係者の間でほとんど話題に上っていないが、筆者が重要だと考えているキーワードがある。それは「オリエンタリズム」である。
オリエンタリズムとは、パレスチナ系アメリカ人であるエドワード・サイードが1978年に提示した「ものの見方」である。それは、18世紀以降世界をリードすることになった西洋世界が、東洋(広義には非西洋世界全般)を「遅れた他者」として認識し、その認識の上に植民地支配や外交政策を構築していく思考の枠組みのことである。
この議論のポイントは、①多くの植民地が独立した第2次世界大戦後もこの思考の枠組みは維持はされていること、②旧植民地途上国官僚をはじめとして非西欧世界のエリート(日本人も含む)は欧米に留学して自らこうしたオリエンタリズムに基づいた世界観を内在化してしまうこと、③その結果として国際機関をはじめとして途上国開発支援に取り組む諸組織、関係者はこのオリエンタリズム的世界観に基づいて開発支援を計画し、実施し、このパラダイムを再生産し続けてしまうこと、である。
これは植民地関係が表向きには終わっているにもかかわらず、実態は先進国が途上国を搾取する構造が温存されているのではないかという「ポストコロニアル(植民地後)」あるいは「ネオコロニアル(新植民地)」の議論とも通じる思想潮流である。しかし、当然のことながら世界銀行を中心とする新古典派的な経済学とは全く接点がない。
とはいえ、国際政治・世界システム分析の文脈では1970年代から主としてラテンアメリカで主張された「従属論」の中で、現代の国際貿易システムが「先進国は中心、途上国は周縁」という関係を固定化することになる、と指摘されてきたこととつながりを持っている。しかし国際開発の研究者で、「貿易システム」の議論が「国際開発支援」の文脈でも妥当である、と指摘してきた人は少ない。ましてや国際開発分野の実務者が、この問題に対峙する機会はほとんどない。
ただこの数年、欧米の国際開発研究の分野では開発と「ポストコロニアル」問題についての議論が盛んになっており、日本でもこのテーマに関心を持つ研究者はわずかながら存在する。
USAIDはとりわけ紛争地支援、国際保健といった人道支援・緊急支援分野で様々な活動を支えてきた。そのため、国際協力機構(JICA)や日本の国際NGOのプロジェクトにUSAIDが直接かかわっていないとしても影響が懸念される。プロジェクトのサプライチェーン(物理的に支援物資が先進国から途上国に届き、荷揚げされ、プロジェクト地に運搬され、現場で配給されるそのつながり)や、意思決定プロセス(国際機関と当該国の交渉、当該国の政府での決定、地方政府や前線の公務員の給料支払いなどの流れ)のどこかに、USAIDやその他米国政府系の資金がからんでいれば、その部分の活動資金が途絶えることで、JICAやNGOのプロジェクトまでもが麻痺してしまう可能性は高いからだ。
日本のODAは、比較的現地のNGOなどに業務委託をせず、直接相手国政府をカウンターパートにし、また日本人専門家を派遣することが多い。今回の件ではこうした日本のODAの特色が、トランプ・ショックの被害を最小化することに役立っているのではないかと思われる。
いずれにせよ、国際開発からUSAIDが長期にわたり退場するのであれば(その可能性は高い)、その負の影響を最小化するためには、当初から米国政府の支援を期待せず、サプライチェーン上に米国政府の資金とつながりのある組織を入れないことが必要となるだろうが、それはなかなか難易度が高いと思われる。
しかし、もともと「オリエンタリズムからの脱却」は、いずれ行わなければならなかったのだとしたら、米国抜きの国際開発支援のエコシステム(自然の生態系のように、
大局的な視点に立ってみると、国際機関、国際NGOを含めて「オリエンタリズムの罠」に無自覚なままにはまり込んでいる状況であることは、否定できない。これからの国際開発支援を考えるときに、アジア、アフリカの多くの国がそれぞれの地政学的状況、資源付与状況、経済戦略に応じた多様な開発戦略をとる必要性が増すことが予想されるが、これに対して既存の「支援・被支援」の枠組みだけでは収まりきらない事例も多発し始めている。この点からも、既存の国際開発支援エコシステムの変革が求められているのである。
しかし既存の枠組みには多くの既得権益がからみついており、内側からは変革の契機は生まれにくい。また一部の開発研究者などが、外部からこのシステムの改革を唱えても、これに反応するインセンティブ(動機)はエコシステムの内部には存在しない。
思い返せば1949年に米国のトルーマン大統領が唱えた「ポイント・フォア」に基づく「先進国は途上国に技術支援をする義務がある」というオリエンタリズム的な認識により、現在の国際開発のパラダイムが生まれ、USAIDもこの時に萌芽(ほうが)ができた。そしてそれ以来75年にわたってこのエコシステムは生きながらえてきたのだ。
実は一度だけ、このシステムを解体するチャンスがあった。1989年の「東西冷戦の終了」時である。戦後の国際開発支援の動機づけとしての「途上国の共産化の回避」という課題が消滅してしまったこの時期、戦後の開発援助システムは存在意義を失いかけた。
ところが、この時期に東側世界の自壊によってよりどころを失った西側世界の「社会民主主義」的な人材を国際開発の世界が受け入れた結果、「人間開発」「貧困削減」という新たな人類の共通目標が設定され、既存の国際開発エコシステムは再生したのである。
お断りしておくが、筆者は「国際開発支援が不要だ」という立場ではない。人間開発も貧困削減も、等しく世界が協調して取り組むべき課題であると認識している。ただし、これまでのオリエンタリズム的なパラダイム下では先に進めないと考えているのである。なぜなら、「進んだ西洋」「遅れた非西洋」という状況認識が既にその妥当性を失っているからである。
さて、このように既存のシステムの構造的問題が明らかになりながら、変革の契機を失っていたところに、2025年にトランプ・ショックがやってきたのである。これまで国際開発のエコシステムを批判してきた人々の想定とは全く異なる方向から、突然変革の矢が放たれたのである。1949年に生まれたメカニズムが、2025年にとどめを刺されたのだ。
おそらくトランプ大統領自身は典型的なオリエンタリスト(オリエンタリズム的な立場をとる人)だと思われるが、彼の視野には「経費削減」という短期的な問題しか見えていないだろう。しかし、いずれにせよ変革の好機であることは間違いない。
ではここで、日本はどうするべきなのだろうか。
既存のシステムの修復を目指して「アメリカの穴を埋める」という対応も考えられるだろうが、そこにとどまらずに「アメリカ抜きの国際開発支援」のエコシステム作りを構想し、設計し、構築していく流れを主導することもできるのではないか。もちろんそれは日本単独ではできない。これまでの伝統的ドナー、そして新興ドナーと言われる国々、さらには様々な開発経験を積み上げてきたアジアの国々と協調して、新たな国際開発支援のエコシステム作りに着手することはできないだろうか。
この課題に取り組むには、国際開発実務に関わっている人々、国際開発研究に取り組んでいる人々、政策立案・政策実施に携わっている人々が、現在の国際開発支援のエコシステムが抱える構造的問題(オリエンタリズム)を共有することが必要になる。これを偏狭なナショナリズム(一国主義)に陥ることなく成し遂げることが、これからの国際開発支援の世界で日本が「名誉ある地位」を占めるためには不可欠な作業となろう。