「自分らしく生きたい」 声を上げ始めた中南米の障害者たち
障害者とともに目指すバリアーのない社会。そんな願いを込めた事業が中南米各地に広がっています。そこには日本の人々や当事者団体の協力がありました。

障害者とともに目指すバリアーのない社会。そんな願いを込めた事業が中南米各地に広がっています。そこには日本の人々や当事者団体の協力がありました。
家族や周りに気を使うことなく、自分のしたいことをしたい時にして、自分らしく生きたいーー。障害者の自立生活を求める運動が、障害者自身によって中南米地域で広がっています。その背景には、日本との深い絆がありました。玉懸光枝さんが報告します。
叙情的で情熱的なタンゴミュージックが流れる部屋を、男性が、車椅子に座った女性の手を取りながら曲に合わせて右へ左へと滑るようにフロアを移動する。その隣では、女性が視覚障害者の男性とペアを組み、「アブラッソ」と呼ばれる深い抱擁を交わしながら一緒にステップを踏んでいる――。
2022年、南米のパラグアイで、あるレクリエーションがにわかに注目された。1880年ごろに南米アルゼンチンで、下町の酒場に夜な夜な集まった移民や船乗り、労働者たちがバイオリンやギターに合わせて踊った音楽から生まれたとされるタンゴのリズムに合わせて、深呼吸しながら手足を動かし、ステップを踏み、ストレッチする「タンゴセラピー」だ。体幹を鍛え、記憶力を向上し、心の癒やしと安定にもつながるとして、近年、医療や介護の現場にも取り入れられているこのタンゴセラピーを、「障害がある人もない人も一緒に楽しみながら心地よい時間を過ごすことができるインクルーシブな(すべてを含む)機会」として、現地のラジオやテレビ、新聞がこぞって取り上げたのだ。
仕掛けたのは、2023年10月まで2年間にわたり国際協力機構(JICA)の専門家としてパラグアイの国家障害者人権庁(SENADIS)で活動していた合澤栄美さんだ。もともとJICA職員で、各国の社会保障分野の案件に携わる機会が多かった合澤さんは、2017年に「ミライロ」に転職。ミライロは、障害者手帳をデジタル化するなどユニバーサルデザインに関する事業に取り組むベンチャー企業だ。そして障害者の社会参加を促進する現場で経験を積みたいと、パラグアイに赴任した。
タンゴが趣味で、東京では日本タンゴセラピー協会でボランティアとして活動し、現地でも余暇を利用して教室に通っていた合澤さん。レッスンを受けながらふと思いついたタンゴセラピーのアイデアに指導者が賛同してくれたため、「ものは試し」と2週間に1度の頻度で開催した。すると、評判が評判を呼んで回を重ねるごとに参加者は増加。車椅子の利用者や視覚障害者など障害当事者に加え、彼らの家族や、地域の高齢者らも参加するようになった。ほどなくしてレゴブロックを用いたレゴセラピーなども始まり、参加者は最終的に500人を超えたという。
2021年10月にパラグアイに赴任した合澤さんはまず、これからSENADISや現地の障害当事者らとともに取り組む一連の活動に「プロジェクトインパクト」(Proyecto IMPACTO)という愛称を付け、パラグアイで親しまれているハチドリと日本の鶴をモチーフにしたロゴマークも作成した。インクルージョン、人々、参加、すべての人のためのコミュニティーという意味のスペイン語の頭文字から取った「IMPACTO」という名前には、「社会にインパクトをもたらし、バリアーのない社会を実現したい」という願いが込められている。
障害者の社会参加を阻むさまざまなバリアーをなくすために、プロジェクトインパクトは、
①インクルーシブなコミュニティーの実現
②物理的アクセシビリティー(利用しやすさ)の促進
③自立生活の普及
ーーという三つの柱を立てて活動を進めた。
このうち、インクルーシブなコミュニティーとは、多様な価値観やライフスタイルを互いに認め合うだけでなく、あらゆる属性の人々が排除されず活躍できる環境を整備し、支え合う社会を意味する。プロジェクトインパクトでは、首都アスンシオン市から約160キロ離れたビジャリカ市やコロネル・オピエド市など、国内4市にある障害者人権事務局と連携し、障害の有無に関わらず誰もが個性を生かして能力を発揮できる社会のあり方について考える障害平等研修(DET)を開催し、障害のある当事者自身がファシリテーターを務めた。また、各地の高校や大学などで開催された研修には、2年間で417人の教師や学生が参加。さらに4市のうち2市では、住民参加と障害者のレプレゼンテーションの向上を目指し、公的機関や市民団体が参加してインクルージョン・ネットワークも誕生した。冒頭のタンゴセラピーも、障害のある人とない人の接点をつくり、交流の機会を増やすことを目指して実施された。
また、誰でも公共施設や商業施設を利用できるようにスロープを設置し、車椅子利用者用トイレを設置するといった物理的アクセシビリティーを確保するためには、設計の段階から障害者が参加し、当事者の目線で助言することが欠かせない。プロジェクトインパクトでは、アクセシビリティーの基準に基づいて状況をチェックできる人材の育成にも取り組み、障害のある人とない人を合わせて81人を監査員に認定した。彼らは、それぞれのコミュニティーで活動を開始している。
しかし、このような活動を進めるためには、障害のある人自身が、自らの意思で生き方を決め、自分らしく生きる権利を持っていることを自覚するとともに、周囲がサポートできる制度が整っていることが不可欠である。
そこで取り組んだのが、自立生活の実現だ。2021年にパラグアイで障害当事者が中心となって自立生活協会「テコサソ」を設立した翌2022年の夏、合澤さんは、8人の車椅子利用者と共にコスタリカの自立生活センター「モルフォ」を訪問した。モルフォは、中南米で初めて障害者への介助者サービスを公的な財源によって運営し、提供する仕組みを実現させた域内のパイオニアである。現在は、介助者の養成研修や派遣なども手掛けている。
「パラグアイにはまだ公的な介助サービスがなく、障害者は家族の介助を受けており、何をするにも家族の都合に合わせて暮らしています。そんな彼らにとって、コスタリカの障害者たちが、日々の生活から外出、仕事にいたるまで福祉サービスの消費者として支援を受けながら自分で行動を選択・決定し、主体的に生きている姿を目の当たりにしたことは大きな刺激となったようです」と、合澤さんは振り返る。実際、パラグアイに帰国後、研修について問われた彼らがカメラに向かって答える表情は、一様に自信にあふれている。
息子の介助を受ける生活に疑問を持っていなかったという車椅子利用者の女性は、「家族にもそれぞれ自分の人生があり、彼らに依存せず自分の可能性を発揮するためには介助者が必要だと気付きました」とほほ笑み、ほとんど人前で発言したことがないという女性も「私はこれまで人の目ばかり気にしてきましたが、自分の権利を知り、自分を愛し、権利を守るために闘うことが大切だと気付きました」と、力強く語った。
一行に強烈な刺激を与えて発奮させたモルフォは、日本との深い絆によって誕生した。始まりは、日本やアジア各国の障害者の自立生活支援に長年力を尽くしてきたNPO法人「メインストリーム協会」(兵庫県西宮市)がJICAの支援を受けて2008年から6年にわたり実施していた「障害者自立生活研修」にさかのぼる。これは、中米9カ国から障害当事者を毎年1カ月半受け入れ、日本の障害者支援制度を体験してもらいながら、どんなに重度の障害があっても、皆、自分で自分の生き方を決め、自立して生活する権利を有していることを気付いてもらうために行われてきたもの。さらに、社会を変えるためには障害者自身が声を上げて必要な支援を訴えることがいかに重要か知ってもらうことも、大きな狙いであった。多くの障害者が、日本で「障害者の自立」という考え方を学び、祖国の障害者の現状を変えたいという使命感とともに各国に持ち帰った。
その思いをいち早く行動に移したのは、コスタリカから参加した6人の研修員だった。6人はまず、日本の自立生活センターにならって障害者の自立生活を牽引(けんいん)する組織として2011年にモルフォを設立。それに呼応してモルフォの能力向上と組織強化を目指すJICAの技術協力が翌年から始まり、介助者の募集や養成が進められた。また、コスタリカ政府にも粘り強い働きかけを続けたモルフォは2016年に「障害者自立推進法」の制定を実現。障害のある人もない人も法の下で平等であることや、行政サービスとして介助者を派遣することなどをうたう中南米で初めての法律が、こうして誕生した。
パラグアイのテコサソのメンバーがコスタリカを訪問し、モルフォから介助者の制度について学んだように、中南米では今、域内の障害者同士が連携し、情報交換しながら自国の自立生活の実現に取り組む機運が急速に高まっている。母体となっているのは、前出の障害者自立生活研修に各国から参加した研修員が2020年に立ち上げた障害当事者団体のネットワーク「ラテンアメリカ自立生活ネットワーク(RELAVIN)」だ。先頭を走るコスタリカに続けとばかりに、アルゼンチンやホンジュラス、コロンビア、ボリビアでも介助者の育成が始まっているほか、介助者制度を公的財源で運営することを求める会合も各国で開かれている。
こうした中、テコサソのメンバーがコスタリカを訪問した翌年には、ボリビアからパラグアイに4人の車椅子利用者と4人の介助者が来訪し、ピアカウンセリング(仲間同士によるカウンセリング)や介助に関する研修を実施。パラグアイ初となるピアカウンセラーと介助者が12人ずつ育成された。さらに、15人の障害者が介助者を養成する資格を取得するなど、パラグアイでも障害者の社会参加を推進する人材が着実に育ちつつある。合澤さんは、「経済水準や社会状況が似ている近隣国同士のネットワークは、学ぶ側にとっては、より直接的かつ実践的な刺激を受けられると同時に、教える側にとっても、自分たちの経験を他国に伝えることで学びを深めることができるので、双方にポジティブな化学反応が起きるのです」と話す。
障害者を「守らなければならない存在」と見るのではなく、すでに力のある存在として尊重し、時には「あなたは素晴らしい可能性がある」と語りかけながら、それぞれが意思を持って社会に参加できるように支援してきたプロジェクトインパクト。その活動は多岐にわたるが、その活動に通底しているのは、障害がある人が自身の力に気付き、自らの人生に主体的に向き合ってほしいという強い願いだ。声を上げ、動き始めた彼らに2年にわたって伴走し続けた合澤さんは、「環境、コミュニケーション、意識のバリアーがなくなることで障害のある人たちの可能性は無限になります」と力強く語る。
2年間の活動を終えて合澤さんは帰国したが、中南米地域の障害者に対する日本の支援はこれからも続く予定だ。日本から自立生活について学び、自らの可能性と権利に気付き、自信と夢を取り戻した中南米の障害当事者たちは、これからもインクルーシブな社会の実現を目指し、日本とともに力強く進んでいく。