ビジネスの力で、質の高い医療を。ケニアで医師向け研修広げる日本人
ビジネスの立場からケニアの社会課題の解決に挑む、20~30代の日本人がいます。今回は、現地医師に超音波検査のトレーニングの場を提供する、原健太さんです。

ビジネスの立場からケニアの社会課題の解決に挑む、20~30代の日本人がいます。今回は、現地医師に超音波検査のトレーニングの場を提供する、原健太さんです。
インド洋に面した、東アフリカの国・ケニア。日本の約1.5倍の国土には、多様な野生動物が生息する保護区があることでも知られる。人口はおよそ5400万人だが、その半数以上は35歳未満だといい、経済成長が見込まれる国の一つだ。一方で、世界銀行によると、「極度の貧困」状態で暮らす人々は人口のおよそ40%に及ぶとされる。そんなケニアで、様々な社会課題の解決につながるビジネスに挑戦する20~30代の日本人がいる。それぞれの取り組みと思いを、シリーズでお伝えする。
「超音波診断を医師ができるようになれば、病気の早期発見、患者の命を救うことにつながるんだ」
ケニアの首都ナイロビにある国立病院の一つ、ケニヤッタ病院で働く医師のジェームズ・アメンゲさん(37)は力を込めて話した。
アメンゲさんが語ったのは、患者のそばで医師自らが超音波機器を使い、迅速な診断や治療につなげる「ポイントオブケア超音波(Point of Care Ultra Sound / POCUS)」の意義だ。欧米を中心に広まった考えで、循環器内科などの専門領域だった超音波検査を、トレーニングを積んだ主治医が患者のベッドの脇で自らできるようになることで、よりよい患者のケアにつなげようというものだ。
アメンゲさん自身、産婦人科医として多くの妊産婦を診てきた。「医師自ら超音波診断ができれば、母親たちに赤ちゃんの頭がどこにあるのかや、胎盤はどのような状態なのかを見せてあげることができる。もちろん、何か異常が起きたときの早期発見にもつながる」
世界保健機関(WHO)の「世界保健統計2023」によると、2020年のケニアの妊産婦死亡率は、10万人あたり530人の0.53%(推計値)。同様のデータで日本は10万人あたり4人の0.004%で、ケニアで妊産婦が亡くなるケースが多いことがわかる。
この「ポイントオブケア超音波」によってケニアの医療の質を高めようと、ケニヤッタ病院では2020年からの国際協力機構(JICA)の事業の一環として超音波機器を導入している。だが、アメンゲさんは「ナイロビには超音波機器のある病院がケニアで最も多くあるが、そのほかの地方では、一つの郡に3、4病院ほどしかない」と語る。
理由は、超音波機器は外国製で、高価であること。持ち運びができるような小型で比較的廉価なものもあるが、日本製など性能の高いものでは500万円近くするという。何よりアメンゲさんが強く訴えたのは、「機器があっても、医師が使えなければ意味がない」ということだった。
そんな現状を変えようと、現地医師らに医療トレーニングの場を提供する事業に取り組むのが、スタートアップ企業「AA Health Dynamics」最高経営責任者(CEO)の原健太さん(36)だ。
2018年からケニアに滞在している原さんは、ケニヤッタ病院でのJICAの事業にも携わった。事業が2022年に終了した後も、民間企業の立場から医療トレーニングの提供を続けてきた。
この超音波診断技術を身につけるためのトレーニングはオンラインとオフラインを組み合わせ、およそ3カ月間にわたる。知識だけではなく、実際に超音波機器を使いながらの訓練、超音波画像の診断方法を学び、最終技術試験もある。現地医師ら医療従事者が対象で、これまでに約200人が受講。現在はそのうち15~20人が「トレーナー」となり、後進に技術を伝えている。
トレーニングプログラムを監修したのは、米ブラウン大医学部准教授の南太郎医師。南医師は「ポイントオブケア超音波」を長年研究し、広める活動を続ける。アフリカでの現状については、「まだまだ広がっているというわけではない」としつつも、手応えを感じているという。「現地の医師たちにはものすごく意欲があります。特に(医療従事者の数や医療機器などの)医療リソースが限られている途上国の医師たちにこそ、有用なツールになりうるのではないか」と朝日新聞の取材に語った。
また、事業の特徴の一つは、トレーニング修了後、医師免許の更新に必要な「ポイント」を付与できること。ケニアでは毎年、医師免許の更新が必要で、その更新には一定の「ポイント」を取得することが求められている。「ポイント」は、様々なスキルの習得や研修の受講などによって付与される。原さんの会社は、ケニアの医師・歯科医師協議会からポイントを付与できる機関として認証されており、日系企業では唯一だという。
医師らは決して安価ではない費用を支払ってトレーニングに参加するが、原さんは「3カ月間で本当に使えるようになるまで丁寧に実施することが強み。『ポイントオブケア超音波』を実践できるようになれば、医療の質だけではなく、医師自身のスキル向上・収入増にもつながる」と語る。
原さん自身は、医療従事者ではない。
東京農業大学大学院で国際農業開発学を修了。ジャマイカ出身の陸上選手だったウサイン・ボルトさんが幼い頃から食べてきたという「ヤムイモ」に着目し、人間の体にどのような影響があるのか研究するなど、食べ物と健康の関係に関心を持ってきた。
転機となったのは、2014年から青年海外協力隊員として2年間滞在した、南太平洋の島国サモアでの経験だ。主要産業の一つは農業である一方、肥満や糖尿病などの健康上の課題を抱える人が多かった。「野菜の栽培を通じて、人々を健康にすること」をテーマに、地元の中学や高校を看護師らと回り、健康指導を重ねた。
現地でのワークショップの中で、忘れられない出来事がある。食べ物が描かれたカードを、生徒たちに「野菜」や「炭水化物」、「たんぱく質」などと分類してもらったときのことだ。炭酸飲料が描かれたカードを、子どもたちは「野菜」のカテゴリーに分類したのだという。
「パッケージに果物の絵が描かれているので、『野菜』の仲間だと思ったんですね。発信している人の情報(炭酸飲料)と、受け取っている人の情報(野菜)が異なっていて、これによって健康を害する可能性がある。この認識の違いを埋めるために必要なのは、医療行為ではないですよね。このとき、ヘルスケアのために医療そのものではない形で関わりたい、と思いました」
帰国後、大学のリサーチアドミニストレーターを経て、東京農大大学院の博士課程へ。途上国の農村でなぜ肥満や生活習慣病が広がるのかを研究するため、2018年にケニアに渡航した。ケニアで予防医療や医療情報などを提供する日系企業との出会いもあり、「AA Health Dynamics」の設立につながった。
医療そのものではなく、知識や技術を広げることによって、人々の健康につなげる。
この目標に、ビジネスの立場から取り組むからこそ持続可能性がある、と原さんは考えている。「人々が『いらない』と思うものは淘汰(とうた)されていく。ニーズを理解し、事業を展開するからこそ、本当に持続的に取り組める」
事業において、原さんが力を入れてきたことの一つは、現地医師らとのつながりを作ること。FacebookなどのSNSを通じて拡散させ、医師向けのオンラインセミナーを継続して開催。学ぶ意欲のある医師たちのコミュニティー作りを地道に進めた。その結果、ケニアだけでなく、隣国ウガンダ、タンザニア、ルワンダなど東アフリカ地域の医療関係者が、これまでにのべ1万人以上参加したという。
意欲のある医師たちとのコミュニティーを持っていることこそが、強みになるという。トレーニングを受けた医師らが超音波機器を購入する際のサポートや、さらには購入のための資金調達支援にも取り組みたい、と語る。ニーズをくみ取り、柔軟に事業を展開していくビジョンを描く。
「会社なので利益を追求しています。ただ、その利益は社会全体の底上げのために還元したい」
その一歩が、超音波機器を使って診察ができるクリニックの開設だ。ナイロビ近郊のキアンブ郡で4月の開設を目指す「NIPPON UZIMA AFYA MEDICAL CENTRE」は、医師らが超音波検査のトレーニングをしたり、実際に機器を使って診察したりする場所だ。「医療トレーニングだけではなく、スキルを得た医師たちが実際にそのスキルを使える場所が必要だと考えました」
医師たちのコミュニティーを作り、医療トレーニングを実施する事業モデルは、ケニア以外の地域でも応用可能だ。すでに南アフリカのヨハネスブルクにも関連会社を設立し、アフリカでの「横展開」を見据えている。「南アでも医療トレーニングは提供するつもりですが、実際にどんなニーズがあるかは分からない。医師たちに向き合いながら、どんなニーズがあるかを追い続けていきたい」