新型コロナウイルスやデング熱など、感染拡大の経験を経て、日本でも感染症への関心が高まった。しかし、その危機感は時間とともに薄れていく。琉球大学医学研究科教員で、一般社団法人「チームがじゃん」代表理事の斉藤美加さんは、科学者ではない一般市民が研究や調査に参加する「シチズンサイエンス」が、私たちの行動変容へとつながる一つのカギだ、と説く。

「ボウフラ」を知らない子どもたち

先日、国際協力機構(JICA)沖縄の「国際交流フェスティバル」で、「チームがじゃん」の活動紹介の一環として、卵、ボウフラ(幼虫)、オニボウフラ(さなぎ)、成虫(蚊)という「蚊の一生」を顕微鏡で見せるコーナーを作った。

JICA沖縄センターで開かれた「おきなわ国政協力・交流フェスティバル」の様子=2024年11月23日、沖縄県浦添市、「チームがじゃん」提供

そこにきた約50人の子どもたちに「ボウフラを見たことがある?」と、聞いてみた。見たことがあったのは1人だけ。「ボウフラ」という言葉を知っていたのも2人だけという衝撃的な結果に、私は危機感を募らせた。

私たちは新型コロナウイルスのパンデミックを経験し、感染症が人々の暮らしを変え、社会にダメージを与えることを知り、失われたものの大きさに気づいた。しかし、今や「あの時」のことを忘れようとしている。

今、解決しなければならない社会課題には、戦争、災害、食料難からくる土地利用の変化があり、森林伐採がある。森林にすむ野生動物に潜んでいる病原体に人が触れる機会が増える。また、グローバライゼーションによる人と物の流れは感染症を一気に広げる。気候の変化や温暖化は、蚊など媒介動物の生息域や生息地に変化をもたらす。これからも、新たな感染症は出現するし、既存の感染症も再興する。私たちは新たな感染症時代に突入した。

新型コロナのパンデミックで落ち込んだインバウンドが回復している今、最も警戒すべき感染症のひとつは「デング熱」である。世界的に、過去50年間で患者数は30倍に増えた。分布域も拡大している。日本でも、コロナ前の訪日観光客数に呼応してデングウイルスが日本に侵入し、「輸入デング熱」患者が急増した。

2014年8月に、東京都内でデング熱患者が報告され、最終的に患者数が162人にまで増えたことを記憶する人は多いと思うが、その翌年2015年には沖縄の隣、台湾でデング熱が大流行し、4万3418人の患者が発生したことはほとんど知られていない。当時、沖縄へのインバウンド旅行者の約30%が台湾からであり、クルーズ船の発着地だった石垣島の港近くでは、デング熱の媒介蚊ヒトスジシマカのボウフラが大量発生した大きなタイヤが転がっていた。2014年以降デング熱の流行が日本国内で起きなかったのは、ただの幸運でしかない。流行が生じる「お膳立て」はできている。

例えば観光地である沖縄では、デングウイルスが国外から持ち込まれ、流行する可能性は非常に高い。亜熱帯気候ゆえ、媒介蚊の活動期間も長い。デング熱にはまだ承認された治療薬はなく、安全なワクチンは開発中である。危機感を持って流行に備える必要がある。新たな蚊のモニタリング方法と対策は求められていることの一つだ。新型コロナで感染症対策のカギだと思い知らされたのは、住民の意識と行動変容だが、この実践は難しい。

そこで私たちは「ボウフラ」を知らない子どもたちを巻き込んで、感染症に耐えうる地域を作る方策の一つとして、「シチズンサイエンス実践」による蚊媒介性感染症対策の取り組みを行っている。

「シチズンサイエンス」とは

「シチズンサイエンス」とは、科学的知識を高めるための科学研究や調査に、職業科学者ではない一般市民が参加・協力するものである。古くから鳥学や天文学、最近では気象観測や生物観察、民俗学、言語学、地理学など多岐にわたる分野で行われている。

シチズンサイエンスの実践が可能になった背景には、近年の情報技術の革命により、科学者と市民の間の垣根は低くなっていることがある。

多くの市民がパソコンやスマートフォンなどの情報端末を持つ現在、市民が調査に協力するのみでなく、科学者とともに地域のデータを作り、分析し、その結果をもって地域の施策の意思決定に参加することが可能となってきた。シチズンサイエンスの実践による社会課題の解決に注目が集まっているだけでなく、新しいスタイルや自由な発想による学術的な新発見も生まれている。シチズンサイエンスという言葉も次第によく聞かれるようになり、この学術的潮流は確実に大きくなってきている。

実際にどのようにシチズンサイエンスを実践しているか、一例を紹介したい。

私たちは2018年、沖縄北部の国頭郡宜野座村松田地区で、小学生を対象に「ガジャン・サイエンスクラブ」の活動を開始した。「ガジャン」とはうちなーぐち(沖縄の方言)で蚊を意味する。

活動は、蚊や蚊がもたらす病気について学び、実際に蚊を飼育し、観察する。まずは子どもたちと一緒に野外でボウフラを探すのだが、これがそんなに簡単ではないので、楽しいうえに達成感もある。子どもたちは夢中になり、目を輝かせる。子ども以上に夢中になる保護者もいる。ボウフラを見つけたら、その結果を地図にシールで貼り、記録する。ボウフラがどこにいるかをみんなで考え、祭りなどの機会に地域住民たちに発信する。

松田ガジャン・サイエンスクラブの活動でボウフラ探しに夢中になる子ども=2019年、沖縄県宜野座村、筆者提供

この学びを通して、子どもたちはみな、ボウフラのいる水を捨てるようになった。子どもたちが大人たちと一緒に蚊のモニタリングと対策を行い、安全な地域づくりに参加するようになった。

科学とは、推察、仮説、検証、考察の繰り返しだ。この答えを出す科学的プロセスが未来を可視化してくれる。自分の手で少し先の未来が見えるようになると、そこに向かって行動変容が起きる。そして、「ボウフラ」を知っている子どもたちが、ここにいる。

ボウフラマップのデジタル化

私たちが宜野座村の松田地区で行っていた紙のボウフラマップづくりの作業は、その後、北海道江別市の酪農学園大学との共同開発でデジタル化され、「ボウフラ調査アプリ」となった。子どもたちが、場所と撮影日時が付与されている水たまりの写真データを入力すると、地図上に即座に反映され、植物相(特定の地域に生育する植物の種の総体)との関係の分析などが可能になった。

松田ガジャンサイエンスクラプの子どもたちが、「ボウフラ調査アプリ」で入力したデータで作ったボウフラマップの画面

これから人工知能(AI)などの開発がさらに進むと、子どもたちの集めたデータが力を発揮する時が来るかもしれない。シチズンサイエンスの可能性は大きい。

シチズンサイエンスはラオスへ

この「子どもたちが観察・記録・思考・伝達により科学する力を育む」シチズンサイエンスの試みは、2024年1月からラオスの農村地帯の小学校でもJICAの草の根支援で開始された。地域の蚊とチョウに関するサイエンス教育プロジェクトである。

ラオスの理科教育レベルは東南アジアでは最も低いとの報告がある。小学校への就学率は向上したが、教育の質には問題がある。教室では黒板の書き写しと暗記が主流で、授業と身の回りで起こっていることが、遠く隔たる。

教育プロジェクトでもリーチが少ない農村の裕福ではない地域で育った子どもたちは、自然の中での暮らしにより育まれた大切な「感性」が備わっていることに気付かされた。私たちは、その感性に「体系」を持たせる。すると気づきがうまれ、身の回りの自然に渦巻く多くの不思議に新たな興味を持つ。

たった1年で、ラオスの子どもたちは変化した。授業に積極的に参加し、手を挙げて自分の意見を言うようになった。自発的な助け合いや学び合いも生まれている。子どもたちの変化を見ていた教員にも変化があった。軍隊の隊長然とした先生の表情が柔らかくなり、自分たちでも授業を実践すると約束してくれる先生もいた。開発による自然破壊が進む農村で、子どもたち、市民と科学者による、2024年のナーヤン村のチョウの図鑑が完成した。

この中から地域の自然を愛する次のリーダーが生まれてくれることを願っている。

初めての虫取りに笑顔いっぱいのナーヤン小学校の子どもたち=2024年1月、ラオス・ビエンチャン、筆者提供