今年8月、アフリカの開発課題をテーマにした国際会議「第9回アフリカ開発会議」(TICAD9)が横浜で開かれます。アフリカに魅せられ、起業や支援、交流などの活動を重ねている人たちが、世代を超えて交流や協働を進める企業「GENERYS」。その分科会であるアフリカワーキンググループ(AWG)のメンバーに「アフリカと私」というテーマでアフリカとの関わりや寄せる思い、将来の夢などを書いていただきます。第11回は、ウガンダでトイレのない家にトイレを建設する活動をしている荒井昭則さんです。

トイレは夜まで我慢

「人に見られるから、明るいうちはトイレに行けない。だから、夜まで我慢するんです」

ウガンダの農村を訪ねた際、ある住民がそう語ってくれました。私たちにとって当たり前の「トイレ」がない日常に、最初は耳を疑いました。しかしこれは珍しいケースではなく、世界にはいまだ何億もの人々が安全なトイレを持たずに暮らしています。

清潔な水やトイレへのアクセス不足は、健康や教育、人々の尊厳に深刻な影響を及ぼすグローバルヘルスの課題です。国連児童基金(ユニセフ)によると、サハラ以南のアフリカ諸国では、最低限の基礎的衛生設備(トイレ)を使える割合は33%。世界の4億人以上は屋外で排泄(はいせつ)せざるを得ない状況にあると言われています。

私たちNPOコンフロントワールドは、ウガンダ農村部のトイレがない場所で、トイレや貯水タンクの建設、せっけん生産・配布、手洗いの啓発活動をしています。

孤児院で直面した「不条理」

学生時代の私はバックパッカーとして世界を回っていました。その最中にケニアの孤児院でボランティアもしました。その孤児院では、お昼ご飯はほんの一口のオレンジ、水道もない状況でした。孤児院では掃除をしたり、子どもたちに手洗いを教えたりしましたが、日本人の私には考えられない環境で驚きました。

ケニアの孤児院でボランティア活動中の筆者(右)=2015年12月、ケニア、筆者提供

滞在して1カ月ほど経ったころ、孤児院の子どもが亡くなりました。私は愕然(がくぜん)としました。

「もしこの子どもが日本に生まれていたら、ごはんを食べ、蛇口をひねれば水を飲める環境にいただろう。生まれた場所によってこれだけ違いがあるのか」。子どもの死に直面して不条理を感じ、帰国後の2018年、「不条理のない世界の実現」を目指すコンフロントワールドを仲間と共に立ち上げました。

以来私たちは、主にウガンダの農村地域で水と衛生環境の改善に取り組んできました。

コンフロントワールドは全員プロボノの組織です。プロボノとは、仕事で得たスキルを社会貢献に生かす活動のことです。メンバーは20人以上おり、勤務時間後や休日などに活動しています。

私は本業の仕事が終わった後、カフェに寄って閉店までコンフロントワールドの仕事。そんな日々を7年以上続けてきました。かつてアフリカで目の当たりにした「不条理」が頭から離れず、空き時間を使って、一人でも多くの人の生活の向上と権利の保障につながるような活動に力を注ぐ生き方をしたいと考えています。

トイレが出来て得たものは?

活動地のウガンダの農村部は、家でヤギを育てたりコーヒー豆を育てたりして生計を立てる人が多く暮らしています。私たちは、その中でもHIV(エイズウイルス)の陽性者や一人親の家庭を中心に、トイレを建設しています。

ウガンダのこの地域では、トイレといっても屋外に穴を掘って板を乗せるだけの簡単なものです。不衛生で、周囲から丸見えです。「きちんとしたトイレがない家庭にトイレを届ける」。言葉で書けば単純ですが、お金や建設する人が必要で、時間もかかります。日本で寄付を集め、現地の協力者や建設業者、トイレを使う住民と一緒になってトイレを建設しています。

住民が利用しているトイレ。写真中央にわずかに木の板が見える=2024年5月、ウガンダ、筆者提供

荒井さんたちが建設したトイレ=2024年5月、ウガンダ、筆者提供

これまでに50棟のトイレを建設し、200人を超える人たちが屋外で排泄しなくてよくなりました。「トイレを使うようになって健康になった」「病院に行くことが減った」など、うれしい言葉が届いています。また、トイレを建設した家庭を訪問すると、週に1~2回清掃することなどトイレに愛着を持ってくれていることが伝わります。

驚くような言葉もいただきました。

私たちがトイレを建設した家庭のアニタさん(仮名)は、こう言いました。「トイレができて友達を家に呼べるようになりました」。アニタさんはさらに、恥ずかしい気持ちが消えて人間としての尊厳が高まり、コミュニティー内でも存在が認められるようになってきたと感じているようです。

アニタさんの言葉を聞き、そして尊厳が高まったその姿を見て、私は達成感がわいてきました。

建設したトイレの前で住民の皆さんと記念写真=2024年5月、ウガンダの農村部、著者提供

排泄するためだけにあるのではない

家にトイレがないことで、「後ろめたい」「恥ずかしい」と思うーー。日本で暮らしていると、意識したことがない感情です。なぜ日本にいる私たちには当たり前のように家にトイレがあり、ウガンダのこの人たちの家にはトイレがないのでしょうか。生まれた場所が違うというだけで、トイレすらない不衛生な生活を強いられる。私たちは、そんな誰のせいにもできない「不条理」を少しずつ解決していきたいと考えています。

国連は「屋外での排泄は尊厳への侮辱であり、コミュニティーの健康へのリスクだ」と指摘し、持続可能な開発目標(SDGs)でも目標6として「安全な水とトイレを世界中に」を掲げ、2030年までにすべての人が安全で安価な水や衛生施設を利用できることを目指しています。屋外排泄は地域の衛生を悪化させるだけでなく、人々の尊厳を傷つけるものなのです。

つまり、トイレは「排泄をする」機能だけでなく、「尊厳を持つ」という存在意義があります。水とトイレが整うだけで、多くの子どもが命を守られ、夢を追うことができるようになります。

想像してください。5年後、清潔な水とトイレを得た子どもたちが笑顔で学校へ通う村を。寄付やプロボノ、SNSでの発信など、できることから始めてみませんか。その一歩が、奇跡を生み出します。

トイレを建設した家の住民と握手を交わす筆者(右)=2024年5月、ウガンダ、筆者提供