自治政府の発足まで1年 半世紀に及ぶ「ミンダナオ紛争」のこれから
フィリピン南部ミンダナオ島で半世紀以上続いた紛争。来年の自治政府発足を前に、平和構築にかかわってきた国際協力機構(JICA)の落合直之さんが解説します。

フィリピン南部ミンダナオ島で半世紀以上続いた紛争。来年の自治政府発足を前に、平和構築にかかわってきた国際協力機構(JICA)の落合直之さんが解説します。
フィリピン南部ミンダナオ島では、1960年代末以降、半世紀以上にわたり、「モロ」と呼ばれるイスラム教徒たちとフィリピン政府との対立が続いてきた。その闘いの歴史が2025年に予定されている「バンサモロ自治政府」の正式発足により、確実に終結に近づきつつある。ここに至るまでには多くの犠牲があった。日本政府は国際協力機構(JICA)を通して当事者たちと、こまやかな信頼関係を築き、和平を後押しし、その取り組みが一つの形に結実しようとしている。ミンダナオ和平シニア・アドバイザーの落合直之さんが、長く複雑な、ミンダナオ紛争の「これまで」と「今後の課題」について解説する。
今年1月2日、ミンダナオ島コタバト市内中心部で日中、発砲事件が発生した。南隣にある町で対立関係にある、町長と敵対するその親戚との間で、積年の対立を解消するために長老が催した「和解の場」での出来事であった。銃撃戦で、町長を警護していた警官が命を落とした。
ムスリム・ミンダナオ地域を昔から支配している有力指導者である伝統的氏族たち(「クラン」と呼ばれる)が、土地や資源、権益をめぐって武力衝突するこのような事件を、土地の言葉で「リド」と呼ぶ。リドは目的や理由、標的が明確なことが多いため、地元の警察は事件をリドと断定すると、ほとんど深追いしない。したがって、敵対する氏族同士で決着をつけることとなる。
ミンダナオ紛争の「これまで」が、反政府組織とフィリピン政府との「垂直的紛争」であったとすれば、リドのような事件はクラン同士の水平的闘争だ。垂直的紛争が終わった今、ミンダナオ紛争では水平的闘争が表面化してきたのだ。しかし、ミンダナオ和平の「これから」について考察する前に、ミンダナオ紛争がなぜ続いたのか、その歴史をたどりたい。
16世紀から始まるスペインによる統治、19世紀末期からの米国統治を経て、1946年のフィリピン共和国発足後から現在に至るまで、「モロ」と呼ばれるミンダナオ地域に居住するムスリム住民たちの苦難は続いてきた。
ミンダナオ紛争の根本的な要因は、フィリピンにおける少数派であるイスラム教徒が、スペイン占領以来400年以上にわたって被ってきた政治、経済、社会および文化のさまざまな側面での差別や不平等、不正義、そして収奪されてきた先祖伝来の土地にまつわることである。
その結果、ミンダナオ島のイスラム教地域はフィリピン国内でも貧困の度合いが高く、それが紛争の構造的要因としても横たわっている。彼らの祖先が古来占有していた「先祖伝来の土地」に、自決に基づく彼らの正義を確立することが、ミンダナオ紛争の本質である。
こうした背景から、「モロ民族解放戦線」(Moro National Liberation Front: MNLF)は1960年代末期以降、フィリピンからの分離独立を目指し武装闘争を繰り広げてきたが、1996年にフィリピン政府との間で、高度な自治政府を設立することに合意する「最終和平合意」を締結した。
一方、MNLFの闘争理論に不満を抱き分派した「モロ・イスラム解放戦線」(Moro Islamic Liberation Front; MILF)は2014年に、「バンサモロ包括和平合意」を締結した。
これらの動きを受けて2019年には、ミンダナオ島西部地域の5州3市及び特別地域(マギンダナオ州=2023年に南北に分離、南ラナオ州、バシラン州、スールー州、タウィタウィ州、コタバト市、マラウィ市、ラミタン市など)を領域とする「バンサモロ暫定自治政府」(Bangsamoro Transition Authority; BTA)が設置された。MNLFの設立後、実に50年間にわたって武力闘争(戦闘)と和平交渉(対話)を繰り返した果てに、暫定自治政府が誕生し、今後、2025年の選挙で正式なバンサモロ自治政府の発足を目指している。
モロの人々とフィリピン政府による半世紀にわたる武力闘争の果てに、ようやく持続的な平和が訪れようとしている。それは、いかに紛争の解決のために「対話」を重視し、対話を通じて相手に対する「共感」を得て、当事者同士の「和解」を進めることが困難であり、しかし重要であるかということを、世界に向けて体現するものである。
反政府組織であったMNLFとMILFは今や暫定自治政府を構成する組織となり、もはや反政府の立場にはない。反政府組織と中央政府との垂直的紛争は終わった。しかしながら、争いは完全には終わらない。垂直から水平へ。別の側面の争いが目立つようになってきた。
冒頭に説明したクランとクランとの闘いである。この闘いには時としてMILFの現地司令官が関与するケースが発生する。これまで垂直的闘争の陰に隠れ見えにくかった水平的闘争であるリドが表面化しているのだ。
2014年に締結されたバンサモロ包括和平合意には、二つの柱がある。一つは2025年のバンサモロ自治政府の発足のために、主要な地方条例を制定すること。そしてもう一つは、兵士たちの武装解除と動員解除だ。
一つめの柱、地方条例から説明したい。バンサモロ暫定自治政府に設置された80人の議員からなる議会はこれまで、重要な条例のうち行政条例、公務員条例、教育条例、選挙条例、地方自治条例を制定した。このうち、選挙条例と地方自治条例はクランの栄枯盛衰に大きく影響するものである。
選挙条例には、政党は1万人の党員がいることを設立要件とすることや、世襲制議員の制限を盛り込むなど、クランにとって必ずしも有利とは言えない要件が盛り込まれた。
また、地方自治条例は、暫定自治政府と、自治領域内の州や市町村などクランが支配する地方自治体との関係を定めたものである。フィリピンは中央政府から地方自治体に対して毎年、交付金が付与されており、自治領域内の地方自治体も例外ではない。そしてこの交付金は、暫定自治政府を介入させることなく政府から地方自治体に直接付与されている。
一方、地方自治条例には暫定自治政府が地方自治体を管理・監督・指揮すると書かれており、交付金の予算計画を策定するにあたってはすべてではないが、暫定自治政府の了解を必要とする、と決められた。
つまり、選挙条例と地方自治条例によりクランの持続的生存や政治的権力が制限される可能性が高まっているということだ。MILFが主導する暫定自治政府とクランにより支配される地方自治体との間では、2025年の選挙に向けての競争が激しさを増す様子が見受けられる。
和平合意のもう一つの重要な柱は、MILFが擁する4万人の兵士たちの武装解除と動員解除である。
兵士たちだけではなく彼らの家族や居住するコミュニティーを正常な状態に戻すことを含め、正常化プロセスと呼ばれている。アキノ政権からドゥテルテ政権、そして現在のマルコス政権を通じて現在までに約2万4千人の兵士が除隊したが、まだ1万6千人の除隊が完了していない。除隊プロセスが2016年の儀礼的除隊に始まり、2019年に本格的に着手されたものの予定通りに進んでいないのは、除隊するMILFの兵士たちへの退役一時金の供与や、生計向上、職業訓練など彼らの将来の生活を保障する社会経済支援が、フィリピン政府側の予算不足や体制の不備などにより遅れているからである。
また、正常化プロセスでは、MILFだけではなくミンダナオ地域各地に存在する民兵組織の武装解除及び動員解除も実施することとなっている。民兵組織は主にクランの警護のために組織化されてきたものであるが、武器による支配が当たり前であり続けた社会では、これらを解体することは一朝一夕には成し遂げられない。MILFとしては、他の民兵組織の解体が進まない限り、自らの軍事部門の完全な武装解除に逡巡(しゅんじゅん)する事態となっているのである。
バンサモロ選挙条例により、2025年5月の選挙を経て正式に発足するバンサモロ自治政府議会議員の選挙施行が規定された。議会を構成する80人の議員の内訳は、比例代表制に基づく政党リストにより40人が、地方選出の小選挙区から32人が、そして残る8人は宗教や女性、青年などセクターの代表から選出される。
政党は既にいくつか結成されている。MILFのバンサモロ正義党(UBJP)、MNLFセマ派のバンサモロ党(BAPA)、ハタマン下院議員を中心としたバンサモロ人民党(BPP)、有力クランが結集した平和統一党(IDS)など、1万人以上の党員を有する政党が主な勢力である。
これらの政党により比例代表区40議席が争われることになる。また、地方小選挙区の32議席は、伝統的氏族であるクランの影響力が強い選挙区と、都市部など弱い選挙区がある。
大統領が任命した現在の暫定自治政府議会は、MILFが多数派を構成している。選挙の結果、MILFが引き続き単体で多数派を維持するのか、新たに選出されるクランが多数派となりMILFが少数派に転落するのか、あるいは、MILFが他党との連携により多数派を維持するのか。いずれにしろ、議会の多数派による意思が条例の策定に強く反映され、自治政府の閣僚を専有し行政を執行することになる。
この半世紀以上にわたるミンダナオ和平に、日本は多面的かつ重層的に関与してきた。
日本政府は外務省とJICAを通じて、三方向からのアプローチをしてきた。まず、ミンダナオ和平プロセスの最も重要なメカニズムである、軍事的な枠組み「ミンダナオ国際監視団」(International Monitoring Team in Mindanao; IMT)による平和維持、二つ目は政治的枠組みである「国際コンタクトグループ」(International Contact Group; ICG)による平和創造、そして復興・開発の枠組み「日本・バンサモロ復興開発イニシアチブ」(Japan-Bangsamoro Initiatives for Reconstruction and Development; J-BIRD)による平和構築である。これら三方向からのアプローチにより、和平プロセスに積極的に関与して、包括的にミンダナオの平和と安定に成果を上げてきた。
日本のミンダナオ和平支援の最大の特徴の一つは、和平合意が達成される前の治安が不安定な時期から、目に見える開発援助を実施してきたことである。日本の外交と開発援助が互いに効果的かつ効率的に展開したといえる。
ミンダナオ支援において日本は、J-BIRDによる紛争影響地域への事業展開を通じて「平和の配当」をもたらすことにより、人々が平和と安定を持続的に希求することを支えるとともに、開発援助を和平プロセスの下支えとするために活用してきた。
つまり、紛争の当事者たちと影響を受ける人々が、和平プロセスから逸脱することなく、また後戻りすることなく前進するために、テコとして開発援助を戦略的に活用してきたのである。ミンダナオ和平支援に見られるような、平和の配当をもたらし政治的解決を図るために、開発援助を積極的に活用した日本の平和外交は、日本が描く国際協調を体現するものである。
現在JICAを通じて日本政府は、2025年の選挙で正式に発足する自治政府への円滑な移行を目指し、2019年に設置された現行の暫定自治政府の組織及び人材の能力向上に力を注いでいる。また、4万人のMILF兵士の武装解除を進めるために、除隊後の兵士やその家族向けに職業訓練コースの充実を図っている。
さらには、除隊プログラムを促進させるための第三者機関である独立退役組織に、日本人要員を派遣するなど、正常化プログラムを重要視している。加えて、社会経済発展を底支えするために、農業を主体とする地場産業の育成、道路や上水道などの基幹インフラの整備を行っている。ミンダナオに真の平和が持続し社会及び経済が発展するために、さまざまな分野における課題の解決に、引き続き取り組んでいるのである。
2024年1月21日、暫定自治政府が発足して10周年を迎え、記念式典が行われた。式典でイブラヒム暫定自治政府首相は、これまでに成し遂げられた経済成長、貧困削減、治安改善などについて具体的な数字を示し、誇らしげに報告した。
また、暫定自治政府が政策ビジョンとして掲げる「道徳的統治」により行政の健全性が改善しつつあることを踏まえ、地域や住民の間に存在する格差是正のために、社会福祉の向上、インフラの整備、地域産業の開発や投資の促進に取り組むことを約束した。
そして、バンサモロの「輝く平和な未来」の実現のためには、自治地域内の全ての指導者、つまり、MILFとMNLFのみならず、地方自治体の首長、地方の伝統的な有力クラン、宗教界など全ての指導者たちが手を結び協力することを求めた。
50年にわたるフィリピン政府とミンダナオのモロの人々との闘いは、バンサモロ自治政府の発足により、紛争の本質的問題を解決することで帰結しようとしている。しかしながら自治政府の発足は、モロの人々の中での新たなる争いの火種となりかねない。リドはその引きがねの一つである。
それらを回避し、ミンダナオに真の平和をもたらすためには、当事者たちが問題解決を短絡的に武器に頼るのではなく、「対話」を重視し、対話を通じて相手に対する「共感」を得て、具体的な「協働」を通じて「信用」と「信頼」を深めることが重要である。
日本政府とJICAは、これまでの取り組みを通じてミンダナオ紛争の当事者たちから絶大の信頼を得ている。そしてミンダナオが真に平和な世界に変容していく道程に対して、今後も多種多様な貢献を期待されている。その期待に応えることが、大海を共有する歴史的な隣人である日本の責務であろう。そして困難を乗り越えて和平が実現すれば、それは複合的な危機に見舞われている21世紀の世界に、光明と示唆を与えるはずだ。