「被写体の生命力を伝えたい」 地球の現場から写真家たちが思うこと
with Planetに寄稿する写真家らのトークショーが開かれました。渋谷敦志さん、林典子さん、西岡臣記者が、片岡英子さんと共に1枚の写真にどんな思いを込めたのかを語りました。

with Planetに寄稿する写真家らのトークショーが開かれました。渋谷敦志さん、林典子さん、西岡臣記者が、片岡英子さんと共に1枚の写真にどんな思いを込めたのかを語りました。
世界各地で取材し、with Planetに寄稿している写真家らによるトークショー「写真家が見た地球のいま」が10月3日、東京都中央区の朝日新聞東京本社読者ホールで開かれた。ニューズウィーク日本版のフォトエディター、片岡英子さんをモデレーターに迎え、写真家の渋谷敦志さん、林典子さん、そして朝日新聞映像報道部の西岡臣記者が、それぞれの経験や写真に込めた思いを語った。
まず、モデレーターの片岡さんは、with Planetに掲載されたそれぞれの記事について、取材の現場で考えたことなどを尋ねた。
渋谷さんは、ウガンダでの取材について語った。渋谷さんは現地でエイズにより親を亡くした子どもたちの取材を14年間にわたって続けてきた。「親のような目線で記録をしてきた。当たり前の話だが、彼らは個性的で個別的な人生を送っている。『エイズ遺児』といわれるが、そういう名前の子どもはいない」。困難の中にある人たちを、ひとくくりにして理解しようとしてはならないことを知った、と指摘した。
林さんは、ボリビアとアフガニスタンで助産師の取材をした時のことを語った。特にアフガニスタンは、世界で最も妊産婦死亡率が高い国の一つだ。林さんは、特に死亡率が高い北東部の山岳地帯に滞在し、助産師たちやその土地で生きる女性たちの姿を取材した。そして記事のほかに、女性たちのポートレート「アフガニスタン この国で私は生きている」を寄稿した。赤い花柄のベッドシーツを背景にたたずむ女性たち。ふだんはブルカなど布地で全身を覆っているが、林さんの前では顔を見せてくれた女性もいる。「ポートレートを撮る行為は、被写体になっている人たちの内面と向き合うプロセスだった。彼女たちの素顔、どんな人生観を持っているのか。アフガンの女性たちをもっと知りたい、という思いで撮っていた」と、林さんは語った。
西岡記者は、バングラデシュの世界遺産であるマングローブ林を訪れ、自然と共に生きる人々を取材した。初めての途上国取材で目の当たりにする自然の猛威、貧困、そして困難を乗り越えようとする人々。「河岸が崩れて家が今にも落ちそうになっている。太陽の日差しが強く、橋の手すりが熱くてやけどしそうだった。ここはそういう場所なのだと思った」。日常のストレートニュースとは違うアングルでの取材。一目で状態がわかる写真だけでなく、「受け手の想像力をかきたてるような、心ひかれる写真が撮れないか、模索している」と語った。
次に片岡さんは、写真家としてターニングポイントとなった経験を尋ねた。
渋谷さんは、1995年の阪神淡路大震災の時にカメラを手に現場へ向かったが、「撮れなかった」経験を語った。被災した人々にカメラを向けようと向き合った時、「被災地の写真で世に出たい、という自分の心が見透かされたようで、怖くなった」という。撮影だけではなく、被災地で何もできなかった自分を「今も引きずっている」と語った。そしてその経験が、写真の力で社会に貢献することを考えるきっかけにもなったという。
また、2002年に訪れたアンゴラでも忘れられない経験をした。23歳の母親のやせ細った乳房にしがみつくような子どもの姿。「死にそうな人を撮っているのに、なぜか生命の強さを感じた。シャッターを切った瞬間、被写体から何かを分け与えられた、と感じた。畏(おそ)れを感じながら、人間の尊厳を切り取っているのだと思った」
同じ思いを、西岡記者も能登半島地震の取材で感じたという。崩壊した自宅を背景に、父親を亡くした女子高校生の写真を撮った時、「自分には想像ができない心情にある人にレンズを向けるのは緊張する。しかし、そういう人だからこそ、みなぎる生命力やたくましさを感じる瞬間がある。その部分を写真に写し出したいと思っている」
林さんはターニングポイントの一つとして、キルギスの誘拐婚「アラ・カチュー」を取材した時のことを話した。林さんは、アラ・カチューによって合意のない結婚を強いられた女性が、どのように自らの人生に向き合っていくかを数年かけて取材した。
林さんは、2014年にイラク北部で過激派組織「イスラム国(IS)」の攻撃により故郷を追われた少数民族ヤズディを取材した時にも、長い時間をかける独自の手法で取り組んだ。当時、世界のメディアが注目した地域で多くの写真家が現場に向かう中で、「私が現場に行く意味は何なのだろう。他の人たちと同じことをしても意味がない」と考えたという。ISに故郷を追われて避難生活を送るヤズディの人たちと同じ家で暮らすことにより、彼らの強い望郷の思いを知った林さんは、彼らの故郷の家まで行き、彼らの故郷や思い出のものなどを写真に収め、ヤズディの人々のポートレートと並べた。そうすることで、被写体の内面を表現しようとした。
片岡さんは、林さんの手法は、速報性が求められるストレートニュースの取材とは違い、長い時間をかけて掘り下げる「スロージャーナリズム」ともいえると指摘した。
「これからの取り組み」について西岡記者は、「(自身の)子どもが生まれたことをきっかけに、次の世代に社会をどうつないでいくかをテーマにしていきたい」と語った。「今何が起きているか、現場を取材する経験を積んできたが、なぜそれが起きているのかということまで深めた取材をしたい」
渋谷さんは、現在取り組んでいる能登半島地震の被災と復興の様子を年内にまとめることのほか、アマゾンで起きている自然現象の変化を追いかけたい、と語った。「自然と人間とのつながり、交感(互いに感じ合うこと)というテーマに関心がある。そのために自分自身が野生の感覚をどう取り戻すかを考えている。森の中を歩いて、感じて、それを伝えるということに取り組んでみたい」
林さんは、2013年から続けている、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で暮らす「日本人妻」についてのプロジェクトを今後もライフワークとして続けたい、と話した。「日本人妻」の中にはすでに亡くなった人もいる。林さんは、写真だけでなく、彼女たちの手紙の筆跡など、すべてをまとめて生きていた証しとして残さなければ、と思っているという。「彼女たちがいなくなっても、私自身が日本と北朝鮮を行き来して、彼女たちが生きていた証しを残す写真を撮ることができると思っている」
トークショーの中では、「1枚の写真の力強さ、ポテンシャル」を認める一方で、「だれでもSNSで発信できるようになるなど、受け手側の状況が変化したため、写真の影響力も変わってきた」(林さん)という指摘もあった。林さんは、「自分は何を撮るべきか、どうやって見せていくのか」が問われている、と述べた。また、被写体の立場からも、「意図しない形で写真が消費されることは避けなければならない。被写体に対しては誠実でありたい」と強調した。片岡さんも、「被写体にどれだけ真摯(しんし)に向き合ったか、がプロジェクトの価値を決めると思った」と語った。